2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.9.3

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2019.9.3

さて、昨日の話し合いでもう少し休みが続くことになった。9月はコペンハーゲンに旅行に行く予定もあったので、それまで休んでみてはどうだという提案だった。
自分の中で仕事に戻る気持ちの整理がつかないのは、何かを始めないからなのか、それとも時間が足りていないからなのか。例えば仕事に戻ってみる。数日すると、慣れることがある可能性も考えられる。だけれど、ぼくの中ではそれは根本解決にはならないと思っている。自分の抱えている問題は、ざっくりと書くとすると、それは自分のしたいことと現状があまり合っていないこと、将来に自分が期待するもの、そこを目指す中で今の現状がなかなか正しい選択とは思いきれないこと、自分がしていることが辛いと感じてしまった時に何かを信じることが出来るのか、など何か表面的な問題はそれほど自分の中では問題ではなく、それら表面的な部分はどちらかというと言い訳のようなものである。もっと根本治療が必要である。根本的なところを正すには、深く深く考えることが必要だし、大きな移動とか変化が必要だし、現状打破できるような没頭するくらいの何かが必要となると思っている。単純に自分の中でなかなか整理出来ていない。1ヶ月で足りるか。

9時から日記を書く。ルーティン化している。
今、自分は通勤仕事を休んでいるので、療養という名の下に旅行に行き、クラブに行き、映画をみて、家で寝ているような生活になりかねない。ぼくは、それほどゆるく生きていける人間ではなく、自分では正直まだまだ言葉には出来ていないが、社会に対する使命も感じている。自分が何をしなければいけないのか正直にいうと明確ではないものの、止まることが出来ない。何かを書いていくことで、自分のするべきことを明確にするべきではないだろうか。少なくともこの日記は途切れているポリオドもあるのだけれど、長く続けているし、ここに書くことが義務ではなく、自らここに向かえているのである。書けないと辛いという時期もあったが、内容がなくて書けないという時はあまりない。気が向かないときは書かない。
みんなが仕事をしている間に横で昼寝をして楽しく自分の時間を満喫するようなことは出来ないのだ。結局、2500字ほど書き上げる。毎日、だいたい2500字ほどを書く訓練をすれば簡単に1万字を書けるようになるし、すると大体3万字とされている短編小説も書けるようになると思っている。とにかく3万字の一つの塊を作ってみたいというのも自分の中ではある。自分で作ったストーリーを誰か違う人が読み、共感するなり影響されるなり、その人の心のどこかをくすぐり刺激し、本を閉じたその瞬間から彼らの生活が変化するなんて素敵すぎると思うのだ。
簡単ではないが、一つ目標としては目指すべきところだと思う。それだと今の仕事の中でもすることが出来るのかとも思う。
11時ごろ菅野さんからランチしましょうと連絡が入る。嬉しい、ホンムラアンに行きたいと思ったが、第一火曜日は定休日で、結局桉田餃子へ行く。13時に二子玉川で合流し、桉田餃子へ。
菅野さんは、ビールを一本と僕は自家製コーラ。餃子を数種類注文し、麻婆豆腐をシェア。前に渡邉さんと来た時に麻婆豆腐をやありさんが好きなんだよね、と教えてもらい食べたら驚いた。桉田餃子の餃子ではないものをあまり食べていなかったので、こんなに美味しい麻婆豆腐があることを知らなかった。渡邉さんと遊んでいると、自分とは違うものの選び方をするので面白い。それが彼なりの纏まりを持っている。そういう時に僕は、自分のセンスのなさを感じるのである。
菅野さんと話した内容はあまり書きたくはないし、二人の中で秘密にするべきだろうことも教えてくれた。基本的には仕事の話。ただ、そうやって仕事の話をしていると、辛くなる時が数回あった。まだまだ自分の心は平常ではないなと感じさせられた。一方で、ポジティブに考えると確認するための一つの針となるような気もした。仕事の話をして、まだ心が揺れるようであればそれはバッドサインであって、もし既に大丈夫だ問題ないというのであればきっと準備ができたということなのだと思う。
桉田餃子の後は、Margaret Howellカフェでコーヒーを飲んでさらに話す。夕暮れを見たくらいの時間に、Antico Coffeへ行き、さらに話す。結局20時くらいまで話していた。

その後、家に帰り、somewhereを観るもwifiのデータローミングが足りないようで途中で観れなくなる。これすらもメタファーのように感じてしまい、落ち込む。全て僕を否定しているように感じる。
会社からiPhoneとPCの返却依頼も来た。いつか言われるのだろうと思っていたが、それがこのタイミングで来ると辛い。休みはお金を必要としているわけではないので、休職でいいと言ったのだけれど、病院で診断書をもらいなさいと言われる。診断書があるとまた会社での休みかたも変わってくるようで、会社のシステムの煩わしさを感じる。もちろん助かるのはもちろん。
こうなると僕は、事務作業の一部になったような気分になってしまった。心配される存在から、早く処理したい存在になったように思う。少し残念だけれど、会社とはそういうものなんだろう。社会の一部になるというのはそういうことなのかもしれない。社会には様々なペーパーワークによってしか動くことが出来ないものがあるのだ。めんどくさいけれど、この紙がないことにはこの先に進めないんだ、と言ったような感じである。そこに愛があるのか、愛は存在するのだろうけれど、受け手としては少し参ってしまった。いや、少しどころかかなりくらってしまった。
優しさとか好意という仮面をつけた悪が忍び寄って来るような感覚に襲われた。
聖子ちゃんと電話する気にもなれずに、眠るが、2時過ぎに目が覚めて、それから5時半まで寝たのか寝ていないのかという状態が続いた。

満員ほどではない少し混んだ電車の中でぼくは座っていた。斜め前につり革を掴んで立っていたインド系アメリカ人の男性に"Hey! I just give you a hug"と言われ、よくわからないなと思いながらもハグをした。右手がぼくの首の後ろに回り、ぼくも同じように肩の上に右手を回す。本来、背中に回って来るはずの彼の左手はぼくと彼の胸の間にすっと入って来くる。その瞬間、親指と人左指を上手く使ってぼくの右胸の小さな乳首をつまんだ。すごく驚きながらも、心地よさを感じる。しかし、すぐにおかしさを感じ、声を絞り出し、”Don't touch my nipple!”と叫んだ。それなのに彼の左手の親指と人差し指は、動きを止めることはなかった。そのあとの記憶はない。

というようなメッセージを寝ぼけたまま驚きそのままに聖子ちゃんに送っていた。あとから見ると、そんな夢を見たんだとも伝えていなかった。
「大丈夫?行方不明にだけはならないでね」
とだけ返事が来ていた。


青春18切符が売れた。8月31日の販売終了日を過ぎると、喉から手が出るほどに欲しい人がいるのだと思う。