2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.9.13

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2019.9.13

かなり体調が悪いようで正直何をしたのか、あまり記憶を呼び起こすことが出来ない。それは、今体調が悪いから記憶を呼び起こす事が出来ないのか、それとも記憶したその瞬間に体調が悪かったから記憶できていなかったのか。それともその瞬間から今までの間に体調が悪いから記憶しておくという行為が難しかったのか。
今、思い出せることをランダムに書き出しておくと、こんな感じになる。
レイナさんから頂いた梨1つ剥いて食べた。バナナ一本を食べた。ビンとカン、段ボールを捨てた。用賀メンタルクリニックに行き、石井先生の診断を受けた。作品作れと言われた。OKでポカリスウェットとうどんを5玉とゴールデンキウイを10個買って2個食べた。
夜は、2玉茹でた。
こんな感じだろうか。これらを元に今日の日記を書いてみる、記憶を呼び起こすためにキーワード書き出してみた、そしてこれらのキーワードを膨らませる作業をする。
身体の節々が痛いというのではなく、身体を触れると痛い。
村上春樹『1Q84』Book2後編を読了。さらに途中まで読んでいた『村上朝日堂の逆襲』読み進める。
18時頃、聖子ちゃんと電話をした。facetimeをiMacでするととても便利である。話しやすいし、何より顔がしっかり見れるし、電話を持ったりとかイヤフォンをつけたりという不自由もない。ヒゲが生えているね、と言われるが、言われるまであまり気づいていなかった。そういえば湯船に浸かっただけで、シャンプーもしていなければ、ヒゲも剃っていない。もう3日くらい経つだろうか。17日からコペンハーゲンに行くのがまだ現実に思えないが、非常に楽しみだ。ゆっくりできそうな気がしている。日本にいるととても疲れる。本当に無駄に疲弊しなければ生きていく事が出来ない。
20時からウディ・アレン監督『Another Woman』を観ようとしたがwifiのデータローミングができず、そのせいでしんどくなり腹が立ち、外付けHDDに入っているピーター・ウィアー監督『トゥルーマン・ショー』を観るが、全然気分と合わず途中で諦める。wifiに悩まされる日々はもううんざりである。誰の人生だ、ぼくの人生だぞと言いたくなる。枕元に置いていた村上春樹『1Q84』を手に取るも身体の痛みや音が不快だったり、いろなことが気になり、集中出来ない。ラジオに変える。10時前だったので、まだニッポン放送ではショウアップナイターをやっていた。いつもの実況小笠原さんが話している。今日の解説は、江本孟紀氏のようだ。
原辰徳氏の勝利インタビューにどこか政治家のような振る舞いを感じて嫌悪感を感じることが、最近とても多いが、あれほどの監督らしい堂々とした余裕のある監督もそういないのかなと思う。ぼくが、小さい頃に見てきた監督たちは、もう少し選手に負けないような雰囲気を持ち合わせている気概のある監督が多かったように思うのはぼくだけだろうか。
原辰徳氏は、気概はいいのだろうけれど、少し気になるのは彼の露出の多さである。選手よりも彼の世間人気があるのだろうが、それでも彼の露出が多いような気がしてならない。どの勝利監督インタビューでも「私の力で勝ちました」と言っているように聞こえるのはどうにかならないものか。彼は、きっと長嶋名誉監督の影を追いかけ、そして同等、いや追い越したいと思っているのだろう。原語録などというものも作ろうとしているらしい。
眠る。記憶はない、不快なまま寝たのだと思う。
結局、最初に書き出したキーワードの話は全くしないままここまで書き終えてしまった。今日のぼくには、これ以上かけそうにもない。いつもの半分くらいの文字数だけれど、そういう日もあっていいでしょう、皆さんどう思われますか。