2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2016.3.9

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2016.3.9

NO MEANING PLEASEを再開したいと思っている。
昨夜、デイビッドリンチのイレイザーヘッドを見ながら考えていたことは、意味がわからないこと、意味を説明できないことの重要性である。

説明出来ないことの重要性について考える必要があるし、カルト級の作品には常に作った本人さえ説明出来ないということが存在するように思う。
ある人が言っていたが、デイビッドリンチの作品はある時を境に少しつまらなくなった、と。
初期作品は意味のわからなさとリンチ本人もあまり理解していないということが相まって作品の面白さに繋がっていたのであるが、ある作品からは、リンチ本人も自分のストロングポイントと捉えるようになり、それらの面白みは薄れてしまったのである。

ぼくは、意味のないもの意味のわからないものに惹かれ、NO MEANING PLEASEとタイトルを付け、作品を発表した訳だ。
継続こそが処女作を手に入れてくれた人たちへのプレゼントであり、継続なしには処女作も存在しない。
辞められない、後戻り出来ない沼にいるのである。その沼はいい沼か悪い沼かは自分で決められるのである。