栄久庵憲司「道具論」、佐藤初女「いのちの森の台所」読み始める。
栄久庵憲司は、メタボリズムのメンバーで現代のインダストリアルデザインを発展させた代表的人物。いわゆる商品としてのインダストリアルデザインではなく道具としてインダストリアルデザイン。商業主義者ではない。
道具には生活保持のための道具と、心の支え精神の環境をつくる道具とがある。
道具は人間を表すものであるので、心なく捨て去られ朽ちていった道具に人の不甲斐なさが浮上してくる。そして現在、道具世界の地獄はますます凄惨の度を深めている。それは転じて人間の生活の地獄的状況を暗示しているという。実際、戦後からのアメリカナイゼーションしれた世の中における物質主義による道具の死には目を見張るものがあり、そしてテロや地震で物質の存在意義までもが疑われている昨今、もう一度見直す必要があるだろう。もう戦後から始まった物質を持つことがそのまま文化になる時代は終わったのだ。
要するに、人間世界と同様に道具世界も存在し、道具にもこころがある。道具にはこころがあり、魂があり、霊となる。道具世界ぎ存在しその存在を認知していくことで道具との共生の世界を作り出していこうとしている。道具世界にもルールや作法がありそれらと人間世界のルールや作法と相互調和して共生し、お互いに敬いあい、高め合うとき、そこにはえもいわれぬ光を発する極楽が出現する。その極楽が現出させるためにも道具世界へ入信しようということだ。
以下抜粋。
「経済操作の具と化した道具世界が人間世界の品位をおとしめていくような未完成な商品の無限のヴァリエーションを大量に作り出すことによって資源の枯渇を導き、環境を破壊し、人の健康を損ねる。おびただしい道具の死骸の山を築いている。」
佐藤初女はおむすびを握っているおばあさん。益子のstarnetに本がおいてあり気になり読んでみるが非常に興味深い。急がず、力んでおらず、人間としてこうあればいいのかと思わされる。
この二人に共通するのが、すべてにこころは存在し、モノをモノとして捉えずこころとして捉えること。彼らは、河井寛次郎しかり柳宗悦しかり浜田庄司しかりの民藝運動の思想の継承者である。
歴史の存在を認め、学ぶことから、思いや使命を表現する手段としての物質がそこには美しく存在していることに気付かなければならない。自分は歴史の文脈の一部分でしかない。
それにしても同時に何冊も読み過ぎだな。
《A table! Comestible Paysage Labo》
机の上の葉物野菜を増やす。少し興味を持ってくれる人が増えてきている印象。とりあえずここからは野菜たちの成長を見守るのみ。時間軸をデザインする。
もう少し背の高い果物の木があればなあとも思うが、プランターで育てたいけれどなかなか厳しいようだ。京都の街中の庭はプランターで作られているがどうやって成長させているのか。知っているヒトがおられましたら連絡ください。
《酵素Labo》
酵素ジュース1日目。
いちごが農協にたくさん売っていたので購入し、酵素ジュースを作ることに。
いちごとグラニュー糖同量を何層かに重ねる。レモンを挟む。
酵素ジュースは季節の地場野菜果実を約10種程使って発酵させるが色が美味しそうではないので悩みおいしそうさ重視のいちごのみを発酵させることにした。実験。しかし、これは酵素ジュースというのだろうか。自分の手で1日1回以上素手で混ぜることにより皮膚常在菌が入り、それらが発酵させてくれる。そうするとぼくオリジナルのぼくだけのための発酵ジュースが出来上がる。しかし、傷があるときは素手はダメなようです。すごく楽しみである。
栄久庵憲司は、メタボリズムのメンバーで現代のインダストリアルデザインを発展させた代表的人物。いわゆる商品としてのインダストリアルデザインではなく道具としてインダストリアルデザイン。商業主義者ではない。
道具には生活保持のための道具と、心の支え精神の環境をつくる道具とがある。
道具は人間を表すものであるので、心なく捨て去られ朽ちていった道具に人の不甲斐なさが浮上してくる。そして現在、道具世界の地獄はますます凄惨の度を深めている。それは転じて人間の生活の地獄的状況を暗示しているという。実際、戦後からのアメリカナイゼーションしれた世の中における物質主義による道具の死には目を見張るものがあり、そしてテロや地震で物質の存在意義までもが疑われている昨今、もう一度見直す必要があるだろう。もう戦後から始まった物質を持つことがそのまま文化になる時代は終わったのだ。
要するに、人間世界と同様に道具世界も存在し、道具にもこころがある。道具にはこころがあり、魂があり、霊となる。道具世界ぎ存在しその存在を認知していくことで道具との共生の世界を作り出していこうとしている。道具世界にもルールや作法がありそれらと人間世界のルールや作法と相互調和して共生し、お互いに敬いあい、高め合うとき、そこにはえもいわれぬ光を発する極楽が出現する。その極楽が現出させるためにも道具世界へ入信しようということだ。
以下抜粋。
「経済操作の具と化した道具世界が人間世界の品位をおとしめていくような未完成な商品の無限のヴァリエーションを大量に作り出すことによって資源の枯渇を導き、環境を破壊し、人の健康を損ねる。おびただしい道具の死骸の山を築いている。」
佐藤初女はおむすびを握っているおばあさん。益子のstarnetに本がおいてあり気になり読んでみるが非常に興味深い。急がず、力んでおらず、人間としてこうあればいいのかと思わされる。
この二人に共通するのが、すべてにこころは存在し、モノをモノとして捉えずこころとして捉えること。彼らは、河井寛次郎しかり柳宗悦しかり浜田庄司しかりの民藝運動の思想の継承者である。
歴史の存在を認め、学ぶことから、思いや使命を表現する手段としての物質がそこには美しく存在していることに気付かなければならない。自分は歴史の文脈の一部分でしかない。
それにしても同時に何冊も読み過ぎだな。
《A table! Comestible Paysage Labo》
机の上の葉物野菜を増やす。少し興味を持ってくれる人が増えてきている印象。とりあえずここからは野菜たちの成長を見守るのみ。時間軸をデザインする。
もう少し背の高い果物の木があればなあとも思うが、プランターで育てたいけれどなかなか厳しいようだ。京都の街中の庭はプランターで作られているがどうやって成長させているのか。知っているヒトがおられましたら連絡ください。
《酵素Labo》
酵素ジュース1日目。
いちごが農協にたくさん売っていたので購入し、酵素ジュースを作ることに。
いちごとグラニュー糖同量を何層かに重ねる。レモンを挟む。
酵素ジュースは季節の地場野菜果実を約10種程使って発酵させるが色が美味しそうではないので悩みおいしそうさ重視のいちごのみを発酵させることにした。実験。しかし、これは酵素ジュースというのだろうか。自分の手で1日1回以上素手で混ぜることにより皮膚常在菌が入り、それらが発酵させてくれる。そうするとぼくオリジナルのぼくだけのための発酵ジュースが出来上がる。しかし、傷があるときは素手はダメなようです。すごく楽しみである。
