2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2026.6.19

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2026.6.19

 かかりつけ医に行ったが、前に見てもらったのとは違う先生だった。物言いたげな表情をした先生で、顔を見ただけで気が滅入る。何かあるのか、なんともないのかを表情から受け取ると、何かあるような表情をしている。しかし、彼女は、「便も問題ないし、血液検査の結果も問題ないし、写真も問題ないですね。エコーでちょっと気になるような気もしますが、時々見られる症状なので、特に心配いらないですよ、ポリープとかもないし、痛みはなんでしょうね」と言われる。検査以降の状況を聞かれ、「電話で対応してもらってからまたなんとなく痛みが戻ってきた」と伝えると、その心配そうな表情をそのままに「念の為、経過観察のためにも、もう一度便の状態を確認しましょう」とのことで検査キットを渡された。とにかく表情が不安感を煽るような先生だった。そして、先生同士の情報共有もなさそうだった。以前の先生は2週間の休暇中で、代理だという。ぼくと相性が良くない。次の先生は、また前の先生なので、きちんと対応してくれそうだ。語学の問題もあるので、できればオランダでは病院にかかりたくない。
家に帰って新作写真のプリントの準備。ここのところ自分の写真を見ているとひどく心が沈む。描くことではなく、見せることに対しての抽象性もしくは、描く上ではなく見せる際の主題性のなさというか、ぼくはあくまで自分の日常の考察を思慮深く、瞑想のように漂うように描き、一本の線を引くことによって角度を生み出し、作品として発表しているだけなので、時々自分の人生に深い悲しみ以外の感情が失われた時には、そこで描かれたものが何であれ、ぼく自身に日常と同様に深い悲しみを運ぶ。その一本の線が引けないということが自分の描くものが平坦なものから浮かび上がってこない。親密さと日々の考察という普遍性を持った作品を目指しながらも、生きたという経験の質感が残るように描きたい。