2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2026.4.9

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2026.4.9

Rewireへ。Actress とSuzanne Cianiの対談をWestで聴いたが、Actress が対話の中で語った音楽を偶然性に委ねているという言葉が気になった。ぼくは、「偶然性」に愛を感じて生きてきたし、目標の多くは達成されずまた違う方向に向かい、その時々の出会いや些細な出来事や気づきによって未来のダイレクションを変えられるように生きてきたし、それを大切に作品を制作している。そのためには自身の日常について強く考えることが必要だということで、自身の日常を律するということでのみ偶然性を受け入れることができると思い、日々こうやって日記という形態で日々を記録している。しかし、オランダに来て日々のディーセントを失い始めて、しっかりと作り込むことを美しく思うようにもなってきた。心境の変化も明らかに存在する。それが映画をたくさん見直すことを自分に課している理由である。作り込まれたものの美しさについては後日語るとして、今日、Actressの口から語られた偶然性に頼るという手法は、ぼくはとても不安定だと思ってきた。どれだけ抑制の効いた日常を過ごしているかがその偶然性の中で産まれる産物の質を担保している。だから、単純に偶然性によって生まれているのは間違いだと思っている。偶然性というのは、やはり具体的な日常に張り巡らせた意識のもたらす産物だからである。
音楽というのは危険だ、いやリズムというものは危険だ。それがどんなものだとしても、完成した姿はいつだってカッコいいのだ。
彼の本意はわからないし、少なくとも大きなフェスティバルのオープニングアクトを務めるような勇気のある人間であることには変わりないが、ぼくは日常へのディーセントな意識なき不安定な偶然に委ねられた作品が溢れるような社会には大反対である。