2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2026.4.13

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2026.4.13

ステラを連れ出して2時間ほど歩く。Scheveningse Bosjesで丸太の上に寝転がり空を見上げていると、木が揺れていることを忘れていたと思った。遠くの木も絵の中の木も全く揺れていないし、物語で描かれる木々も木の実は落としても揺れていない。
ここのところメルカリを時々見るのだが、あまり実態を感じられなくなってきた。そこにリアリティが存在しないのだ。日本に住んでいないせいか、どこか違う国の出来事を眺めているようで、全くと言っていいほど娯楽的快楽もなければ、何かを必死で探そうという気にもなれない。同時に、Vintedを見ているとそれがアルゴリズムだろうが、土地に根差したように作り上げられた世界はぼくの実体が浮かび上がるように感じる。ぼくがもうこの社会にいるということが当たり前になってきたということだろうか。気持ちはこの社会にアジャストしているのだが、感覚や身体がまだアジャストし切れていない。