意思のある態度によって物事が選ばれているということを前提とした社会ではないことを踏まえなければ、対話にならないということもある。ぼくは自分のことを積極的に社会に参加することを目指している人間であると認識しているが、決して全ての人間が積極的に社会に参加することを目指しているわけではないということをオランダに来てから頻繁に思わされる。昨日のことだってそうだし、良いものだけを享受する、嫌なことでも仕方ないと思って行うようなこと、自己犠牲を伴いながらも前に進もうとする意欲とか、納得いかないことには納得いかないと示すこと、もそうだ。デモや選挙に行く、システムに抗うことだけが社会参加ではない、何度も言われてきたように何を買うか、どこで何をするかである。どんな風に寿司を食べるか、どんな風に女の子を口説くか、どんな風に友人と喧嘩をするか、それが小説の書き方というようなことを村上春樹は書いていたが、それは小説を書くことだけではなく、意思のある積極的な社会参加である。
フランソワ・トリュフォー『La Peau douce(柔らかい肌)』を鑑賞。