ルキノ・ビスコンティ『Death in Venice』を鑑賞。聖子ちゃんは、自己陶酔が強すぎてあまり好きじゃないと言っていたが、ぼくは鑑賞後にとてもいい気持ちだった。おそらくぼく自身の中にある自分なりの美を追及したいというな気持ちとか、ある種ぼくの中にも確実に存在するナルシズムのようなものが、ルキノ・ビスコンティが描きたかったもの、もしくはトマス・マンが描きたかったものに引っかかったのかもしれない。映画を鑑賞した後に使える読後感と同じような意味を持つ言葉はあるのだろうか。観後感、とか。何より、個人的にとても自分の制作の参考になるというか刺激を受けたのが、この映画が一つの物語という形ではあるものの、その物語が出来事を説明するような構成を微力に持ちながらもほとんど映画(もしくは監督に)に不要とされており、映画(もしくは監督)は、登場人物の感情の動きとそれ自体が纏う間(ま)を語るためだけに出来事を存在させているような印象を与えたところである。一見、物語中心の映画と構造は全く同じであるが、それを外す感覚がとても巧妙に出来ている。物語観ようとする鑑賞者を裏切るように出てくる夢や回想シーンや、美の哲学を語るモノローグのシーンなどが物語を進めることあるいは物語を観ようとする鑑賞者を裏切るような構造になっている気がした。ぼくは、モノローグのある映画がとても好きなので、なんとなく頭の片隅に、ぼくが映画を撮るならモノローグをやろうと思っている。それからぼくは、ミドルエイジクライシスというか、少し歳を取った男性が現実日常から逃れたいが、八方塞がりになった、その状態での心の揺らぎを捉えたような映画が好きだ。『Death in Venice』もある意味ではその構造を持っているようだし、クロード・ソーテ監督『Les choses de la vie(すぎさりし日の…)』、フラシスコ・フォード・コッポラ『The Conversation』、ウディ・アレン『Annie Hall』、ソフィア・コッポラ『Lost In Translation』だってそうとも言えるかもしれない。ぼくは、好きな映画を挙げてくれと言われると何を言おうおかとよく考えているが、なかなか一つとは言えない。「もし好きな映画は何?って誰かに聞かれたら何て答えるの?」と聖子ちゃんに話してみたら「私はKiki's Delivery Serviceかな」と言っていた。