10 Corso Comoへ行き、カフェをしたがとても懐かしい気持ちになった。19歳の時に、ジョウキョウがミラノに留学していた。オジーと三田くんとまっさんと4人でジョウキョウに会いに行き、そのままベネツィア、アムステルダム、パリと旅行をした。20日くらいだったと思うが、いまだに何かことあるたびに思い出す。Porta Garibaldiは大きく変化したけれど、それでもそこにあった空気はぼくの中にまだ懐かしさを与えてくれるし、今新しい風景を見る時にも嫌でも入り込んでくる。AmbraちゃんとOrsonero Coffeeでカフェをして、Giardini Indro Montanelliを散策。公園内にあったカフェテラスで心地よい日差しを浴びながらドリンク。Trattoria Masuelli San Marcoでディナー。
イタリアに来てまだ2日だが、もうすでに人々が人と共存していることを認識していると思った。オランダにいるとこちらがにこりとしてもにこりともされない。それはぼくのせいかもしれない。しかし、住む土地によって人間が全く違うことに驚かされる。そして、イタリアに住む人は日本人が好きそうである。それはどの都市に行っても毎回感じさせられるぼくの個人的な雑感。
イタリアに来てまだ2日だが、もうすでに人々が人と共存していることを認識していると思った。オランダにいるとこちらがにこりとしてもにこりともされない。それはぼくのせいかもしれない。しかし、住む土地によって人間が全く違うことに驚かされる。そして、イタリアに住む人は日本人が好きそうである。それはどの都市に行っても毎回感じさせられるぼくの個人的な雑感。
誕生日だったのに、それについて書くのを忘れた。37歳になった。父が37歳の時にはぼくは9歳だった。A table!がちょうど始まった頃だっただろうか。Cafe patioというカフェや美容室や花屋が同じ建物にあるコンプレックスのようなものをしていて、そこによく遊びに行っていたのを覚えている。ぼくには子供がいないし、仕事もまだまだ安定していない。まだ20代の大学を卒業したてのようなことを延々としている。時代も違うし、人と比べることもできない。それがたとえ家族であったとしても、比較にはならないだろう。それでも時々自分の父の年齢をふと思うことがある。今日、そんな父から「何歳になったんや」とメッセージが来たが、冗談なのか本気なのかわからないが、自分の子供の年齢がわからないというのはどういう感覚なのだろうか。悲しいとか、父を悪くいうとかそういうことではなく、子供のいないぼくには理解できない感覚で興味深かった。親の年齢がわからないのは、子供が親よりも後に生まれているからで、なんとなく理解できるが、親が子供の年齢がわからないのは、なんだか不思議である。まあ、同時に、1192年に鎌倉幕府が誕生したとか、1868年から45年間明治時代があったとか、そんなことは、後発的に覚えられるので、親の誕生日の方が子供の誕生日よりも覚えやすい気もする。もしくは、「あれ?何年に中学を卒業したっけ」くらいの感覚かもしれない。ぼくもいつも中学を卒業したのがいつだったか思い出せない。卒業したが、そのまま同じ学校だったからかもしれない。