現代において、「売る」という行為は、「買ってもらう」ということと既に同義である。買ってもらえないとなると、売る側は困るのである。資本主義において最も恐怖なのは、買ってもらえなくなることであると思うが、買う側も売ってもらえなくなるという恐怖さえも存在する。そのお互いの信頼や平衡感覚によって社会が成立している。どうも後期資本主義においては、買ってもらえなくなる恐怖の方が大きくなり過ぎているのではないか。売らないという意思は資本に勝るだろうか。
「あなたにはこのコーヒーを飲んでもらいたくない、似合いませんよ」というような愛のある行為はまだ存在するだろうか。