「丁寧な暮らしをしていますね」と時々言われるが、天邪鬼のぼくとしては心地よくない。それは、嫌味のように言われているように感じているのは天邪鬼だからか、もしくはただ笑いの一要素として言われているのかはわからないが、小馬鹿にされているような気もする。ぼく自身はあまり小馬鹿にされるのが好きではないし、良くも悪くもそれほど小馬鹿の対象にならずに育ってきたので、小馬鹿にされることに慣れていないとも言える。
ぼくは、自分自身で丁寧な暮らしをしているとは思えない。引っ越しの時に部屋に対して挨拶をしたり別れ際に声をかけたりはするのである種丁寧かとも言える。家の掃除をするのは比較的好きな方であるけれど、芯のある作家のコップやお皿を揃えたりするようなことにはそれほど興味はない。模様替えは大好きではあるが、掃除機を元の場所に戻すのは苦手である。あくまで自分の違和感とものが伝えてくるメッセージに応えたいという気持ちはある。わざわざマーケットまでバッグを持って食材を買いに行くことにも興味はあるし、もし豚肉とレタスが必要で、肉屋とオーガニックグローサリーが自転車で10分だったとしても、家から歩いて1分のスーパーには極力いかない。家を傷つけないようにと棚の足や裏側にフェルトをつけたりするのは嫌いだし、鉄鍋に毎回オイルを塗って保管するようなこともしない。レシピのままに料理をすることも出来ないし、ダンボールに何かを保管するのも結構好きである。
ぼくは、自分自身で丁寧な暮らしをしているとは思えない。引っ越しの時に部屋に対して挨拶をしたり別れ際に声をかけたりはするのである種丁寧かとも言える。家の掃除をするのは比較的好きな方であるけれど、芯のある作家のコップやお皿を揃えたりするようなことにはそれほど興味はない。模様替えは大好きではあるが、掃除機を元の場所に戻すのは苦手である。あくまで自分の違和感とものが伝えてくるメッセージに応えたいという気持ちはある。わざわざマーケットまでバッグを持って食材を買いに行くことにも興味はあるし、もし豚肉とレタスが必要で、肉屋とオーガニックグローサリーが自転車で10分だったとしても、家から歩いて1分のスーパーには極力いかない。家を傷つけないようにと棚の足や裏側にフェルトをつけたりするのは嫌いだし、鉄鍋に毎回オイルを塗って保管するようなこともしない。レシピのままに料理をすることも出来ないし、ダンボールに何かを保管するのも結構好きである。