8時に家を出て、今中とアントワープへ向かうが、昨晩同様に電車のメンテナンスか、ベルギーでのストライキの影響か、Breda駅まで行ったが、Rotterdam Central駅まで引き戻して、Antwerp Central駅へ。1時間半ほど遅れてアントワープに到着。Axel Vervoordtに行く。知っている場所にわざわざ行くことが、現代を生きるぼくたちにとってどのくらい必要なことなのだろうか。例えば、散々本やネットで情報を得た上で、その場所に行くことがある種の確認作業になっていないか。他人への自己顕示欲になっていないだろうか。自分の心の叫び声に対して忠実な行動であるか。それは旅も同じである。ある程度まで成熟した現代社会において、お金と時間さえ作れば、そこへ辿り着くことができる。電車に乗って歩いて行く。体を鍛えて山を登ったり泳いだりして行くわけでもなければ、人間の品格みたいなものと交友関係を駆使して一見さんお断りのお店に行くというようなことは除けば、ある程度多くの場所へ行くことができる。自分の人生の中で訪れたい場所チェックリストにチェックマークを入れることがどのくらいの意味を持つのだろうか。自分自身の今後のやる気につながったり、喜び、心の栄養になるのはもちろん重要だし、違う場所で誰か違う人とその場の雰囲気を共有することも一つの豊かな人間関係を築くことにもなるだろう。全く否定の余地がない。しかし、やる気や喜びという一瞬で過ぎ去ってしまうもののために物事は存在している訳でもなければ、情報を届けるために誰もこないために存在しているわけでもない。きっと、どこへ行くか行かないかは、自分の価値観の形成に大きく影響を与えるし、100年の人生を生まれた街で過ごす、その街から出たことがないというような人生もそれがその人の美学や価値観を支えている。チェックリストを作るが、行かない人生もそれはその人の価値観や性格を形成している。ぼくたちはなぜ憧れの場所に足を向けるのだろうか。