朝から八丁堀の三木さんのところで印刷の打ち合わせ。清澄白河に泊まっているので、八丁堀まで歩こうと思いカメラを抱えて歩いたが、思いの外遠かった。こういう時に限って写真を撮らないことが多い。その後、品川やの品川くんと夏の展覧会Six Songs from the Laundry Room開催のお礼を兼ねたランチ。銀座のしゃぶせんに行こうと「A4出口で待ち合わせましょう」と言っていたが、地上に上がると、銀座コアビルが跡形もなく、新しい建物が建つわけでもなく空き地になっていた。好きなお店がなくなっている、閉店でも、移転でも、新しいお店になっているでもなく、その懐かしい場所さえもなく、まっさらになっていた。ここに昔しゃぶせんという素晴らしいお店があったということを人はどのように記憶するのだろうか。そんなしゃぶせんは旧銀座コアから斜め向かいのメルサの8階に移転しており、古風なデパートのB1Fから少し新しいデパートの最上階へ移転した。なんとなく懐かしさを感じるようでありながらも、時代の変化によって技術的ではなく予算的やさまざまな事情によって作れなくなったのだろう印象的だった丸い大きなカウンターはそこにはなく、直線のコの字カウンターがそこにはあった。ランチはもちろん値上がりしていたが、あの銀座で働いていた頃を思い出すような美味しさとサービスでぼくはとても嬉しくなった。別に特筆するほど美味しいわけでもないのかもしれない、しかし、ぼくは目の前におかれる一人用のしゃぶしゃぶ鍋の贅沢さとか、朝から銀座での仕事終えたであろうお客さんの優雅さ、家族で銀座に出かける幸せそうな光景を大きな印象的なアーチを描いたカウンター越しに見るのが好きだった。一昨日のとんきの件もあり、個人的には、値段を上げるならクオリティを下げて欲しくないと思う。昨晩のとんきが豚汁の具材の量が明らかに少なかったので残念だった。それだけで美味しくない。品川くんは帰り道のエレベーターの中でそれなりに満足するぼくに「デパートのお店っすね」と言っていた。人には人のものの捉え方があるんだなと思った。Aux Baccanalesに行き、カフェノワゼットをサクッと飲み、電車に乗り込んだ。久しぶりのぼくのお昼の銀座だった。その後、羽根木にある濱中さんの事務所へ伺う。大小面白話を聞き、話し足りず滞在中再度食事をすることを約束して別れた。
恵比寿で夕食の約束があったので、POSTに立ち寄り、Ruth van Beekの展示へ。初日にも関わらず、ほとんどの展示作品や商品が完売していた。どれだけたくさんあったのかは知らないし、どれだけのお客さんが来たのかは知らないし、知る必要もない、しかし人気があるというのはいいことだなと思ったし、この日本での人気を支えているだろうPOSTや中島さんの功績は一人のアーティストにとって、個人史を変えてしまうほどのものである。死ぬ直前にきっと中島さんの顔を思い出すだろう、ぼくがRuthの立場であればきっと思い出すに違いない。Ruthと話していたら、旧友なのかオランダ在住なのかは知らないが人が割り込んできて、オランダで八百屋や魚屋にいる時と同じような気分になってうんざりしてしまった。そのまま買い物だけして帰った。iPhoneの電池が切れたので、また恵比寿の駅前のアンティコカフェで一服。充電器はないので、カフェやコンビニで約束の居酒屋の場所を聞いたが、誰も知らなければ、みんなiPhoneの充電器を買えばと言ってくる。調べたりもしてくれないので、残酷な世の中だなと思った。ぼくがポータブル充電器を忘れたことに端を発したわけだが、それでも少し残念だった。その土地のことを知る人もいなければ、美味しい居酒屋を知る人もいない。
なんとか場所へ到達し、作家の松嶋さんとTu es mon Tresor愛美さんとディナー。彼らとは初めて食事をご一緒したのだが、新しく刺激をもらえる友人ができたことを嬉しく思えるような夜だった。みんなが座って早々に、「本当に現代の作家の中で一番いい文章書いてる」と言ってもらえたのは、お世辞だったと思うが、お世辞でもそんなこと言わないほどに多めに褒めてもらえたのは、素直に嬉しかった。一人でもそんな風に思ってくれている人がいるというのは、自分のやろうとすることが間違えていないのではないかと思わせてくれる。彼らとは、住んでいるところも違えば、育ってきたところも、世代も違う。それでも共通の何か似たものが根底にあるが故に、少しの趣味のずれがとても面白く、読むべき物語も観たい映画も一気に増えた。それは、ぼくと彼らが非言語的なものや非物質的なもののレベルで同じようなものに興味を持っているのだが、言語化や物質化された時点では全くと言っていいほど違うものが出来上がっている、と言ったような説明が正しいだろうか。そして、彼らのように、もちろん見かけによるものではあるが、きっと仕事も満足にされていて、自分の時間をそれなりにうまく使えるような人たちであっても、さらに言うと地位とか、名誉だったりとか、そのようなものを持っている人とでも、「制作をする」ことにおいて、その制作に対する姿勢であったり、苦悩だったり、希望だったりに関しては、フラットで対等なレベルでの会話ができることを改めて感じてとても嬉しくなった。ぼくはいつだってそうありたいと思っている。権力にも名誉にも地位にも負けないような意志を持って制作をすること、自分の制作をすることに付随する苦悩や興奮、希望、などは決して年齢や名誉や地位に揺るがされることがない。そんな態度を持っていたい。よく、家の近くのカフェで川久保玲に会って、話が盛り上がったら、そのまま彼女を家に招き入れれるか、と思い描くことがあるのだが、そういうことだろう。家が綺麗であると言うことではなく、ショートカットをして生きていないかどうか、ということである。ポケットの中のiPhoneの充電は切れたままだった。恵比寿駅からJRに乗り、渋谷駅で半蔵門線に乗り換えようと改札に向かったが、切符を通す前にふと足が止まり、来た道を戻り、一人でグランドファーザーズに向かった。iPhoneがないので清澄白河への終電は何時かわからなかったが、今日はタクシーで帰ってもいいかと思うような日だった。今日はこのまま帰れなかったので、地下への階段を降りて、カウンターでグレープフルーツジュースを飲んだ。
恵比寿で夕食の約束があったので、POSTに立ち寄り、Ruth van Beekの展示へ。初日にも関わらず、ほとんどの展示作品や商品が完売していた。どれだけたくさんあったのかは知らないし、どれだけのお客さんが来たのかは知らないし、知る必要もない、しかし人気があるというのはいいことだなと思ったし、この日本での人気を支えているだろうPOSTや中島さんの功績は一人のアーティストにとって、個人史を変えてしまうほどのものである。死ぬ直前にきっと中島さんの顔を思い出すだろう、ぼくがRuthの立場であればきっと思い出すに違いない。Ruthと話していたら、旧友なのかオランダ在住なのかは知らないが人が割り込んできて、オランダで八百屋や魚屋にいる時と同じような気分になってうんざりしてしまった。そのまま買い物だけして帰った。iPhoneの電池が切れたので、また恵比寿の駅前のアンティコカフェで一服。充電器はないので、カフェやコンビニで約束の居酒屋の場所を聞いたが、誰も知らなければ、みんなiPhoneの充電器を買えばと言ってくる。調べたりもしてくれないので、残酷な世の中だなと思った。ぼくがポータブル充電器を忘れたことに端を発したわけだが、それでも少し残念だった。その土地のことを知る人もいなければ、美味しい居酒屋を知る人もいない。
なんとか場所へ到達し、作家の松嶋さんとTu es mon Tresor愛美さんとディナー。彼らとは初めて食事をご一緒したのだが、新しく刺激をもらえる友人ができたことを嬉しく思えるような夜だった。みんなが座って早々に、「本当に現代の作家の中で一番いい文章書いてる」と言ってもらえたのは、お世辞だったと思うが、お世辞でもそんなこと言わないほどに多めに褒めてもらえたのは、素直に嬉しかった。一人でもそんな風に思ってくれている人がいるというのは、自分のやろうとすることが間違えていないのではないかと思わせてくれる。彼らとは、住んでいるところも違えば、育ってきたところも、世代も違う。それでも共通の何か似たものが根底にあるが故に、少しの趣味のずれがとても面白く、読むべき物語も観たい映画も一気に増えた。それは、ぼくと彼らが非言語的なものや非物質的なもののレベルで同じようなものに興味を持っているのだが、言語化や物質化された時点では全くと言っていいほど違うものが出来上がっている、と言ったような説明が正しいだろうか。そして、彼らのように、もちろん見かけによるものではあるが、きっと仕事も満足にされていて、自分の時間をそれなりにうまく使えるような人たちであっても、さらに言うと地位とか、名誉だったりとか、そのようなものを持っている人とでも、「制作をする」ことにおいて、その制作に対する姿勢であったり、苦悩だったり、希望だったりに関しては、フラットで対等なレベルでの会話ができることを改めて感じてとても嬉しくなった。ぼくはいつだってそうありたいと思っている。権力にも名誉にも地位にも負けないような意志を持って制作をすること、自分の制作をすることに付随する苦悩や興奮、希望、などは決して年齢や名誉や地位に揺るがされることがない。そんな態度を持っていたい。よく、家の近くのカフェで川久保玲に会って、話が盛り上がったら、そのまま彼女を家に招き入れれるか、と思い描くことがあるのだが、そういうことだろう。家が綺麗であると言うことではなく、ショートカットをして生きていないかどうか、ということである。ポケットの中のiPhoneの充電は切れたままだった。恵比寿駅からJRに乗り、渋谷駅で半蔵門線に乗り換えようと改札に向かったが、切符を通す前にふと足が止まり、来た道を戻り、一人でグランドファーザーズに向かった。iPhoneがないので清澄白河への終電は何時かわからなかったが、今日はタクシーで帰ってもいいかと思うような日だった。今日はこのまま帰れなかったので、地下への階段を降りて、カウンターでグレープフルーツジュースを飲んだ。