朝8時に家を出て新幹線でまた東京。これでもう関西には帰らない。今日でもう両親や弟とまた顔を合わせない日々に戻る。年々歳をおう家族を見ていると時々悲しくなることがある。それは、自分の育った家族や小さい頃に見ていたあの憧れの両親みたいなものがどんどんと小さくなっていくからであり、それは子供が成長し大人になっていく中で時代も変われば子供であるぼくの経験も増えるし、理解できるだけの時間を過ごしていることから、仕方ないものではあるだろう。品の良いネイビーばかりを着ていた父は、気付けば何が理由だろうか安っぽい黒い服ばかりを着ているようにも感じる。今は、「黒」を「良いもの」と感じているのか、それとも歳を重ねる中で気楽な素材やスタイルの服を求めていく中でそのようなものばかりで身を纏うようになっていっているのだろうか。それをなんとも思っていない、むしろそれが良いものとして振る舞っているような姿もまた息子であるぼくをゲンナリさせるわけであるが、それは息子であるぼくのせいでもあるだろう。ぼくが父に対して彼が興味を持つような新しいスタイルの提示をできていないのだろう。前に向かって変化する時代と全ての人間が持ち合わせる老化という時間の変化の間で、時代と父の変換器のような存在になれていないのだろう。また、それで良いと思っている父に対して、「なんでそんな趣味になってしまったのか?」と問いただしたいところが正直だけれど、それを満足している父に対して、わざわざ息子ではあるが他人であるぼくがぼくの趣味や抱いている父像に合わせて彼に対して何か意見をするのもなんとなく違う気もする。本人には何も聞いていないし、そんなことを言っては怒るのは目に見えている。ぼくが違うと思っても本人にとってはそれが正しいと思うのであれば、もう好きにさせておく、好きにしてもらっておくというのが、親子の関係としては健全な気もする。いや、おせっかいを焼いてまでぼくは自分のスタイルを人に強制したいとは思わない。しかし、納得はいかない。それがぼくのフラストレーションでもある。時々、娘に影響を受けて若造りをした母親みたいな人を見るが目を当てられない。まあ、それは極端な例ではあるが。ぼくは、ぼくにとって偉大な、そして偉大だった、両親は、あの頃抱いていた偉大さと憧れるスタイルをいつまでも維持していてもらいたいと思ってしまうのだ。ぼくは、自分の中に具体的に残り続けるだろうぼくが子供の頃に共に育ってきた「両親像」みたいなものと、目の前に存在する老い始めて諦め出す実際の「両親」との大きなギャップについてとても悩んでいる。みんなそんなものをアップデートしながら生きているのだろうが、ぼくにはその差が大きすぎて、なかなかあ状況を掴めないままに時間だけが過ぎているように感じられてならない。そのことについて考えると涙が出そうになることがある。ぼくは、まだはっきりと親離れできていないのだ。越えるべき両親の背中をいまだに越えられずにいるし、越えていかないことにはスケールも新しい親子の姿をも作れないのだ。ぼくが彼らを越えないことには、ぼくはいつまでも自分自身の中にある「両親像」と現実に目の当たりにする「像」狭間でゲンナリし、涙を流してしまうのである。越えること、それだけが全てを解決し、新しい物語を紡ぐことができる唯一の方法なのである。
11時半にスガアートで今中と合流し、額装作品の搬入を手伝ってもらう。江戸川橋で鰻を食べた。今日の昼にしか鰻を食べることが出来なかったというのと、車で東京を西から東に横断し、合間に鰻を食べるというのもなかなか粋だなと思った。
11時半にスガアートで今中と合流し、額装作品の搬入を手伝ってもらう。江戸川橋で鰻を食べた。今日の昼にしか鰻を食べることが出来なかったというのと、車で東京を西から東に横断し、合間に鰻を食べるというのもなかなか粋だなと思った。