2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.11.30

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2025.11.30

 東京に住んでいた時に眼鏡を作った麻布十番の眼鏡屋で眼鏡の調整。目が悪すぎるので、度を測り直し、レンズを作り直した。これでは免許の更新も出来ないですと言われ、12月5日に予定していた羽束師免許場再訪も叶わない。眼鏡の完成は12月7日だ。ぼくが目の見え方や数本の眼鏡の掛け替えに関して神経質だということも加味して、今見えているものから度をどのくらい上げるかなどを調整してくれて、本来人のためにものを作る人というのはこうあるべきだよなと満足した気持ちになった。日常的に人々がきちんと人のために物を作っていると、それが当たり前になって行くだろう。神経質であるのは、決してその本人の問題ではなく、神経質に対して腕の見せ所だと思ってくれる人がいるかどうかなのでは、と思わされた。神経質な人間というのはほっておいても山ほどいるのだから。テーラーメイドが全て良いわけでも、懐古主義でもない。アンチマスプロダクションというほどの人間でもないけれど、それでも意思のあるものつくりと、意図を汲んだ呼応と、人の見える活動というのは人を嬉しくさせる。少なくとも海のある田舎町に住んでいるぼくからすると、朝から素晴らしい経験をしたと思った。
Vacant/Centreで在廊し、夜はカナさんと吉田くんととんきへ。列に並んでいる際に、ここに来たことがなかった吉田くんが「とんきはやっぱり美味しいですか?」とカナさんに聞いていて、「とんきはやっぱり流儀だよね」と返事をしていた。ぼくも全く同じことを思っていたので、心の中で頷いた。豚汁の具材が貧相でぼくは悲しくなった。価格を上げてでも貧弱にはしないでほしい。値上げされ、もし来る回数が減ったとしても、その一回の体験というものの質を担保してくれないとぼくは、社会に存在する価値がないのではないかと思ってしまう。人生で初めてぼくの中でのとんきという「美学」が揺らいだ。食後、恵比寿まで歩き、駅前のアンティコカフェで話し込み、閉店と同時に解散。吉田くんの家で遅くまで話して就寝。湯船に浸からせてもらった。