2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.8.7

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2025.8.7

 朝7時半に起きてリビングに行くと坂田さんからの置き手紙があった。
「アムステルダムに行ってきます。6時ごろには帰る予定です。何か欲しいものがあったら言ってね。良い1日を!」と書かれていた。
とても不思議な気分になった。いたはずの人が、別れの挨拶もなく人が消えたような気がする。
起きかけていた聖子ちゃんに「坂田さん、アムステルダムに3日ほど行くらしい」と冗談を言ってみたところ、まさに寝耳に水というような表情で、この街でぼくたちが日々失ってきているものを持っている人の突然の不在に悲しそうな表情を見せたまま、天井を眺めていた。
去年も坂田さんが来た時には、同郷ということもあるのか、別れが辛かった。この街は、本当にぼくの人生において、蓄積してきたものを表現しながらも新しい変化を取り入れようとするような30代半ばの時間を過ごすのに良い場所となっているのだろうか。30代の半ばを勢いよく過ごして楽しい40代にシームレスに繋がる時間をこのような見落とされそうな街で過ごすことが正しい行為なのだろうか。正しさについて考えるとき、何に対しての正しさだろうかとも思う。