2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.7.30

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2025.7.30

8月初旬からプレオーダーを取りはじめるCairo Apartmentの新刊の作文。言葉に囚われすぎて言葉遊びになっていないか、作品自体が持っている伸びやかな性質に影を落としていないだろうか。
柄谷行人『村上春樹と「風景」――『1973年のピンボール』』を読む。
日記を書いていて常々思うことがある。囚われたようにJean-Paul Sartreの「実存は本質に先立つ」が頭をよぎるのだが、7月もずっと頭の中にその言葉があった。日々、日記として文章を書いていることを下地として、彼の言葉をもう少し理解してみようとするならば、言葉は常に実存の後にあるということではないだろうか。言葉がずいぶん遅い、現実を追うようにしか言葉がつむがれていない。言葉は、実存を捉えるためにあるのか、本質を組み立てるためにあるのか。言葉が世界を想像させ実存を迎え入れる、実存が言葉からどんどん離れるように獰猛さを持って進み、言葉が後ろから掬い網を持って追いかける。
ベッドで村上春樹『街と不確かな壁』読み進めて、目を閉じた。