2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.6.9

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2024.6.9

ブランチに家でパンケーキを食べる。牛すじを煮込み、カレーを作る。
スペインから帰国し、かなり落ち着いているので、村上春樹「アンダーグラウンド」を読み進める。オウム真理教とはなんだったのだろうか、麻原とはなんだったのか、ぼくはジャーナリストではないし、事実をきちんと伝えることには強く興味があるわけではないが、実際に、その出来事がなぜ起きたのか、一人の人間の決断を促したのはなんだったのか。ただ一人の人間がめちゃくちゃな行動を起こしただけではなく、どんな環境で育ち、どんな時代背景があり、何がそうさせたのか、最後になぜそんな決断をしないといけなくなってしまったのかにとても興味が湧いた。「アンダーグラウンド」を読んでいると、怒りを持たない人々が多くインタビューを受けているのも興味深い。その怒りは、通り過ぎたのか、もしくは怒りが少ない人が被害にあったのか、怒りを持たないからインタビューを受けたのか、日本人の多くは過ぎ去ったものを仕方ないと思う傾向にあるのか、良いことから悪いことからも何か未来への教訓みたいなのを見出す人種なのか、さまざま考えられるが、読んでいてとても印象的だった。
高度経済成長の闇である公害の被害を受けた子供が成長する中で、愛を受けず歪んだ環境で育ちながらも青年期に誰しもが好奇心そのままに純粋な夢を抱き、メディアによってもてはやされ踊らされ自分が人気であると錯覚し、中年期が抱えがちなプライドを曲げられず、そして日本人が社会やグループの中でやりがちな問題を隠蔽し、後戻りできなくなってしまったということなのだろうか。ぼくはなぜ突然アンダーグラウンドを読もうと思ったかというと、はっきりと言ってもいい自分のモラトリアムからの脱出には社会との関わりが必要ではないか、具体的な社会へのコミットメントと関心が必要だと思ったのだ、ぼくの個人的な記録とか、感情とか、自分の気持ちの発散とか、個人的な物語を紡ぐことを続けることに本当に意味があるのかを知りたいと思ったのだ。記憶が紡ぎ直されるというのはどんなことを意味するのか、そこに道標があるような気がしたのだ。