2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.4.17

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2024.4.17

英文の校正をしてもらったのだが、細かい部分の修正がとても多い。ぼくが英語が十分にできるわけではないことと、ぼく自身が持つ音やリズムなどの言語感覚と語彙力とで文章を書いているので、まあ当たり前。単純にルールを知らない部分もある。理解が難しい部分があると言われた箇所もあった。そもそも言葉の持つ意味がどのくらい曖昧なのか、意味がどのくらい正確なのか、ぼくにも正直わからないけれど、音やリズムが人に何かを伝えないのだとしたら人類の進化を否定しているということにもなるだろう。音やリズムが言語となり、言語による社会が発展してきたが、その中でも人々は音やリズムに憧れるように歌を歌う。情報としての言葉ではなく、もっと人々にとってエッセンシャルな価値のある言葉を使いたい。写真集や作品集作りにおいてもそうだ、ぼくは情報としての本よりも、本自体が言葉以上を語る写真集を作りたいと思っている。もっと簡単にいえば、ハウトゥ本よりも小説からしか学べないもものがあるということだ。そんなことを考えながら、自分の英文校正について細かく考えていると頭がいっぱいになり昼寝してしまう。最近、あまりにも家を出ていないので、モヤモヤとする感情が溜まってきた。家で音楽を聴きながら踊って少し発散。誰にも家を出てはいけないとは言われていない。