2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.3.9

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2024.3.9

Leica M6の調子が悪いので、そろそろオーバーホールに出そうと思っている。短くても3ヶ月を要するので、タイミングを伺っている。来るべきその3ヶ月に備えるように、先月末にRICOH RGiiix買ってデジタルカメラを使って遊んでいるが、気に入る写真がなかなか撮れない。撮れないというか、それなりにいい写真は撮れるのだが、自分が撮りたい写真が撮れているか、一つ言えることはデジタルの質感に全く馴染めていない。ちょっと写りすぎだなと思うし、構図など自分の思う通りに撮れすぎるので、二次元平面上に余白を作れたとしても、立体的に余白を作ることができない。そして、想像を要する時間においての余白さえなかなか上手く作れずにいる。とか言うことをケンくんと話していると、「フィルムに甘えてたから、実力ないだけ。」さらに「Lightroomの使い方くらいマスターしないと、次のステージに来たという風に考えるんがいいんちゃう、なんか写真の雰囲気、停滞してる感じあったし」とぐさりとクリティカルなことを言われる。返す言葉も見つからず、パソコンに向かいLightroomを開いた。意見は真面目に受け取らなければいけない、言い返す言葉がないわけではない、ただ何を言おうとももしそれが自分の意思だったとしても、全ては言い訳という解釈になってしまう。ぼくはフィルムで撮ることに、フィルムを入れて写真を撮るというシンプルな工程にとても憧れを抱いている。その結果、自分の撮りたいものが形になってきて、自分らしい写真を撮ると言われてきた。いかに、思考がとてつもなくねじれ絡まっていても、人生を単純化するかということに強く憧れていて、その一つの方法がLeica M6での撮影だった。人生においてはやることを増やしてややこしくできるけれど、いかに単純化できるかというのもそれも一つの挑戦でもあるし、意思表明でもある。ぼくは、そういう人間に常に憧れてきた。カフェに座って街を歩く人を眺め、街を研究していた建築家バーナード・ルドフスキーが、ぼくの憧れなのだから。