2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.3.7

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2024.3.7

起きると、ステラがうんちをしていた。多分、昨日留守番中にフォカッチャのドーを食べたので、お腹が膨れてしまったのかなと思う。ぼくも同様にあまり発酵しなかったフォカッチャを食べて、お腹が膨れていたからだ。必死に床を掃除するも、床に跡がついてしまった。賃貸なので、さらにヘリンボーンの床なので、少々辛いけれど、プロに相談してステインリムーバーなどを使ってみようと思う。人生は日々経験の連続だから、経験できることが目の前に起きれば起きるほど良い。
人間の持つエネルギーをもっと燃やして、生きようと思った。エネルギーが溢れている人にぼくたちは憧れを抱き、刺激され、とらわれ、生きてきたのだ。そして、やめられなくなっている。みんなやめていく、そんなのおかしいと思う。生きることは、思考の動きを実践することだし、生きることと思考が一致していないからみんなやめるのだ。ぼくはやめない、始めたことをやめたくない、少し停滞したりしても、また盛り上がってくる時がくることがある、誰に興味を持たれなくてもいい、ぼくはこうやって文章を書くことを続ける。こんな文章を書いていても食べものがもらえるわけではないけれど、書いていてエネルギーが湧いてくるのだ。そして、その先に読者がいて、「あの日の話は自分にも当てはまる」とか「日々厳しい生活だけど羨ましいね」とか「物語の雲行きが怪しくなったね」とか時々連絡が来ると、書かないとなと思うのではなく、その言葉はぼくが書いているからもらえる言葉であって、その言葉によってまた自分が新たな感情を受け取っているのである。だから、発信していると思っていても、実はぼくは受け取っているのだろうと思う。それは展覧会を開催した時にも、いろいろな方々が来場してくれて、何か言葉を交わしたり、感想を伝えてくれたり、作品を買ってくれたり、そんなことによってぼくは経験することのできないものを受け取ってきたのだ。