2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.2.15

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2024.2.15

昨晩、集中して作業をしていたので、寝たのが夜中の2時を回っていたこともあり、朝は8時半に起きる。まだ体調がスッキリしないので、身体を休ませるべきだったのだろうが締切があり、どうもそのリズムに入ってしまったので、抜けられなくなった。誰からも何も言われない状況なので、やはり時計を自分の信頼できる味方にするべきだ。うちのある通りを3分ほど歩いたところにあるパン屋Pompernikkelへサワードを買いに行く。ついでにぼくはコルタードを注文し、彼女は、クイニーアマンとコルタードを注文。オランダに来てから、その服いいですね、などと声をかけられることがなくなった。それは、国の問題なのか、ぼくらのファッションの問題なのか、持つ佇まいなのか、全ての理由が複雑に入り混じり、その結果を産んでいるのだろう。同時に、わざわざ洋服の話とかをせずに、普通に日常会話を話すことは多くなったように思う。その理由は明確で、きっとぼくたちがこの土地に馴染もうとしているからである。今日が締切なので、最後の調整をするが、煮詰まってしまったので、昼下がりにイヤホンをして歩いていると、メルボルンに住んでいた頃の記憶が突然蘇ってきた。フレッシュオレンジジュースを飲みながら、アンドラス・フォックスのStrange Holiday Radioが今聴けたら幸せだなという気持ちになった。まだ色々なことが落ち着いてはいないんだけれど、割と良い場所に居を構えているのだろうなと思った。
数日前に行った家の近くにある建築事務所Toegepaste Kunstに行った、お店の名前を英語に翻訳すると「Applied Art」。PastoeSpectrumLouis PoulsenVitraArtekなど、ダッチデザインのプロダクトを中心に一応販売している。ステラの散歩をしていると毎日のように店の前を通っていたのだが、なかなかオープンしている時間にこちら側に足を向けることが少なかった。ショウウィンドウにはクラース・グッペルズのブロックプリントの作品が販売されているようだけれど、お店のようにプロダクトを見せるようには整然としていないし、どういう場所なのだろうかと思っていた。店に入ると、ゴソゴソと音を立てて奥で黙々と作業をしていたというような雰囲気の男性が出てきた。「前から気になっていて来てみたかったんだけれど、お店ですよね?」と、すると「インテリアと建築の事務所なんですが、プロダクトも販売しているような、お店ですね。まあ、お店というほど整理はできていなんだけれどね、作品も売ってますよ」と彼は言った。そこからクラース・グッペルズの話をすると、彼は自慢気に、「実は昨日彼のアトリエに行ってね、」と話し出した。そこから話は盛り上がり、Pastoe、ダッチデザインなどについてオーナーのヤップと30分ほど話す。お爺さんが1923年に始めた建築事務所らしく、もう101年経ったのだそうだ。場所のその時から全く変わらず、そこにあるそうで、壁にかかっているペインティングやアートピースも時代を淘汰され、今や美術館に収蔵されているようなものまでが、ひっそりとそこに鎮座している。自分で何かを深くディスカバーしている人も好きだが、ぼくは家族の影響を受けている人がとても好きである。彼らにとってはそれは生まれた頃から当たり前として存在しているので、彼らは背伸びしないし、誤ったものを選ばないし、自分の選択に信念がある。それは言語化できなくても、感覚の中に、いや感覚だけではなく彼らの血の中に選択の信念が染み込んでいるのだと言ってもいいだろう。話の中でヤップが「ある時期のダッチデザインには、ホリゾンタルデザインが多いんだ、その理由はオランダの地形がフラットだからなんだ、とてもオランダっぽいでしょ」と言っていてとても良い理由だなと思った。ぼくはそういうものが聞きたかった。なぜリートフェルトの家具があのような構造なのか、スペクトラムの家具がホリゾンタルなのかなり納得させられる理由だった。時代に左右されないデザインというものは、どの国のものでも自然環境に源泉を持つのだろうか、それはデンマークやフィンランド、例えば日本のデザインを見ていても同様なのである。