2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.2.13

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2024.2.13

朝、ステラの散歩に行き、その後家から一番近いカフェBowieへ。2週間生活してお店の前を毎日のように通っては中を眺め、連日混んでいるのを知っていたが、今日初めて店内に入った。彼女はカプチーノを頼み、ぼくも同じようにカプチーノを注文する。カフェやレストランはいつも興味深いなと思う理由の一つに、行くとエネルギーを感じるのだ。それは、良いエネルギーのこともあれば、あまり良いエネルギーでないこともある。人が集まっているからエネルギーが回っているのか、人々がそのお店に対してポジティブな気持ちを持って集まる。あるカスタマーがその場で楽しい時間を過ごしたとする、彼が去った後、その場にはポジティブなエネルギーが残されていくのだろう。そうやってお店の中に蓄積されていくエネルギー、働くオーナーやスタッフもモチベーションがあり、さらにそこにテンションがあることがお店の雰囲気に繋がるのだろう。今日は朝730分から日記を書いているのだが、全く頭が回っていない。デン・ハーグの7時半はまだ暗いので、灯りが必要である。キッチンの灯りをつけ、大きな窓からの光を待つ時間。なんとか810分には書き終え、ステラの散歩に行けるのだろうか。810分がきたら書き終えるという方向に持っていくのも一つの方法かもしれない。特に冬や、生活が安定しない時期は、自分の生活リズムを律するために、時間というのはとても信頼できる味方だなと思うことが最近とても多い。脱線しているので、戻すと今日はまだ眠いのか、何かを描写しようというだけの思考回路になっていない。話は戻し、Bowieに行ったら、とてもやる気が出てきたのである。なぜやる気が出てきたのかというと、自分の住んでいるブロックにこのカフェがあり、そこに朝から人々が集まっている、新聞を読んでる人もいれば、家族で朝食を食べている人もいる。パソコンに向かって仕事をしている人もいる。何か新しいことがあるわけではない、別に日本や東京、その他の都市でもよく見られる光景である。しかし、それがぼくの住んでいる同じブロックで行われていること、自分の家の外に出ただけでそれだけの人がここで見れるということ、人々の営みと、生命の息吹のようなものを感じ取れるような気がしたのである。エネルギーを交換してきたというか、エネルギーをもらったような感覚に近いかもしれない。人々が何か期待を持っていくお店というのは少しばかりのテンションがあって、良いなと思うこともある。例えば、パリコレクション中のパリのカフェテラスはファッションを着飾ったカスタマーで華やかになる。パリに住んでいた頃には、その風景はパリコレクションが始まったんだなということを知らせるのには、申し分ないものだった。彼らは、見られることを前提としたように、椅子に座っている。同時に、通る人々を見ている。誰か友人に会うかな、誰か良いスタイルの人はいないか、動くものに反応する監視カメラのように彼らの顔は左右に動く。そういうものを楽しいなと思える時期があり、皮肉を交えて話していた頃もあった、ある時にはとてもうんざりすることもあった。人々が行きたい場所があり、会いたい人がいる、何かを楽しみに待っているという状況、今はそういうものが価値あるのだなと思う。パリコレクション中のパリのカフェテラスは、エネルギーがtoo muchではあるが、何かの期待を含んで皆がお店に通っている。ハレの場がないと人々の暮らしにハリがない。お店に行くことがハレの場だとは思わないが、そのように感じられるようなお店が街に一つくらいあってもいいのかなと今は思う。