2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.12.29

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2022.12.29

19時、東京駅から新幹線に乗り、京都へ。聖子ちゃんとホームで合流。おむすび弁当を買った。おむすび弁当は副菜にソーセージと卵焼きがついて、お茶もついて580円。高いのか安いのかよくわからない値段設定だけれど、他の駅弁は1300円とか1500円とかするのを見ると、このおむすび弁当は値打ちがある気がするし、何よりも大袈裟でないところが一番の魅力である。駅弁の何がぼくの気分を損ねるかというと、大袈裟さである。新幹線の駅弁が大袈裟なのは、新幹線に乗ることが未だにワクワクを兼ね備えているからで、新幹線による移動は幻想のような非日常を感じるものなのである。それが2022年という開通から60年ほど経過した今でもなお。
地方を走る特急列車で大袈裟な駅弁が出るならそれは魅力的だろうが、移動手段として乗る新幹線で大袈裟な駅弁を食べる気分に滅多になれない。この駅弁戦線が落ち着いた事に日本の人々は移動に慣れた生活をしているのだろうか。
東海道線を通る新幹線に乗るぼくからすると、駅弁はどこか江戸時代の名残にも感じてしまうのだから、大袈裟なものばかりでもいいからなくならないでほしいなと思うものでもある。
最近は、大袈裟すぎるし、豪華食材ばかりで、それが逆に貧乏人くさい。
そう考えるとおにぎりと副菜のお弁当は移動や東海道の雰囲気にもあってるんじゃないだろうか。皆様は、駅弁について、どうでしょう?