2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.9.3

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2022.9.3

海へ。まだまだ思いのほか日差しが強いので、Stellaと聖子ちゃんのために即席テントを作る。ビーチで流木を拾い集め、4本足をたて、その4本足を使って持ってきていたタオルをタープのように張る。日差しとの角度がうまく行ったので大きな影ができた。足場が弱いので石と、短い二股に割れた流木で補強。プリミティヴでとてもカッコいいものができた。これがただの自己満足ではなく、何を指示したでもなくStellaがその影を選んで座っていたのが、この即席テントの実用性を物語っている。言葉のない生き物がそこに集まるということは生物として感覚的にその場がすごく心地よいということであり、その感覚がまさにプリミティヴだとおもわざるをえない。
夜は、コマチーナへ行き、最高の夕暮れを過ごし、急いで帰宅。レンタカーをしていると、返却時間というこの世の中で一番ぼくを焦らせるものが最後に待ち受けているのである。毎回、返却時間に遅れそうになることで、自分たちの車を持つべきなのではないかと思ってしまうほどである、それくらい返却時間というものがぼくを悩ませている。

人をどのように認識しているか、簡単にいうと、その人を信頼しているか、もしくは疑っているかによって一つ一つの行動が変わってくる。
信頼していると、うまく行く前提で物事を考えられ、その後の予定も組めるが、信頼がない場合、うまくいかずにそれを対処することが前提となっていて、対処する時間を含めた予定となる。それは、時間やお金においてもそうだ。
基本的に、今の日本だと人を信頼しないということが前提となって社会の構造が成り立っているので、ピリピリとしているし、受けても焦りを感じさせられることとなる。基本的には、日常生活の中にある一対一の小さな些細な関係におけるものではあるが、その小さな些細な空気はどんどん膨張し、大きくなっていくと世の中の雰囲気とも連動する。人をどう認識するかということは面白いなということだけメモをしていて、少し時間が経ってしまったので、例え話が書けない。日記はフレッシュなうちに書くべきだ。鉄みたいなものか。