2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.8.23

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2022.8.23

明日、ついに聖子ちゃんが帰ってくるので、一人で過ごす最後の日なので、どこかで夕飯でも食べて帰ろうかと思ったのだが、家で夕飯を食べたい気持ちが勝り、家で魚を焼く。お肉は全く食べなくなったが、魚は時々食べている。と書こうと思ったが、昨日も食べたよな。
自転車で数分のところにある温泉へ。温泉といっても25℃ないものは、温泉とみなされないそうだ。だけど、成分があれば、25℃以下であっても、温泉と名乗ることができる。ここは19.5℃しかないそうだが、成分があるので、それを温泉と呼ぶことができるのだという。
そういえば、もう有馬温泉は源泉が出なくなってきたというような話を父から聞いたことがあったが、天然資源なので、そういうことが起きることは。ずっと安定しているわけではなく、少なくなることだってある。それを水で薄めて、温度を調整しながらうまく使っている。だけれど、本来みんなが思っていた効能のある温泉とは変わってしまっているのが実際なのである。天然資源なのだから、大切に使いたいという気持ちと、それに絡んだ利権とかビジネスの問題。特にビジネスの問題はややこしく、人間がルールを作りその規定に対してNGOKとか判断する。温泉のルールだって、不思議なもので、ある意味、温泉と名称をつけるためにルールを制定しましょうとか言っていると本当にそれが温泉であるかどうかなんてわかる人が出てくるのだろうかと不思議しか思えない。ルールってなんなんでしょうね。と思ってしまう。人が心地よく過ごすためのものなのに、そのルールによって人がルールを基本に物事を考えてしまっている。道具とかもそうで、自分たちが便利になったり、過ごしやすくなったりするための道の具えであるものなのに、道具のために人が狭苦しくなっている。