特に予定のない日だったので、朝6時からStellaとゆっくりとランニング。こんな時間でももう暑くて暑くてどうしようもないので、多摩川へ浸かる。流れのある川なのに、なぜか若干臭う気がするのだけれど、まわりの犬たち同様にStellaも楽しそうに水に入っていた。
なぜ臭うのか、東京の川自体が汚いのか。川は全てを流してくれるし上から下に向かって絶えず流れているので、常にきれいな状態が保たれていると思っていたが、なんだか妙に臭い。生活臭がする。
多分、北大路魯山人の本に書いてあったと思うのだけれど、大田区多摩川(この辺)から川崎あたりまでの本郷と呼ばれるエリアは、海への入り口である河口にも近づいていくため、好餌が溜まっていて、うなぎが有名だったのだという、だからこの周辺にはうまい鰻屋がいくつかあったのだそうだ。うなぎは、「何月頃はどこそこの川のがよい」「何月頃はどこそこの海だ」というように、季節や場所によってそのうまさが説明される。このことは、うなぎの住んでいる海底なり、餌えさなりがかわるからなのであって、うなぎは絶えずカンをはたらかし、餌を追って移動しているのだそうだ。好餌を発見すると、得たりとばかりごっそり移動し、食欲を満足させる。彼らが最も好む餌を充分に食っている時が、ぼくらがうなぎを食って一番美味いと感じる時で、それはうなぎに限らず、あらゆるものについても同様だと思う。移動をするのも、寒さから逃れるという理由とは別に、食料がなくなるからで、加工や保存ができる人間は、移動して生活する必要がなくなったのだともいえる。六郷川がよいとか、横浜の本牧がよいとかいうのは、以上の理由によるもので、どこそこのうなぎというものも、移動先の好餌のあるところを指すわけだ。
今こうやって書きながら、朝の川について思い出していると、うなぎもいないし、どこかぬめっとした家庭汚染水のようなものを感じる場所もあるし、ちょっとどころか結構臭いような気がしてきた。まあ身体についても洗い流せばいい話だから、そんなこと以上にStella自身が楽しんで水にダイブしたり、泳いだり、水というものに慣れてくれたらぼくは幸せだ。
帰って、シャワーを浴びて、テーブルの定期メンテナンスをして、床を水拭きしする。家で溜めてしまっていた書類の整理したり、掃除したり、バルコニーで日光浴をしたりしながらうだうだと過ごす。何もしなくても汗が出てくるほど暑いので、家で全裸で汗をかきながらうだうだとするのにちょうどいい。
夜は、高校の同級生吉岡ともんぴと新宿三丁目の随園へ。二人とも「うちの嫁さんがよー」とか「奥さんはさー」とか話していて、いまだにぼくは「聖子ちゃんがー」とか「彼女がー」とかしか言っていなくて、不思議な感覚。「うちの嫁がこれであれでこれやから」とか言ってみたいとは思ったことはなかったけれど、嫁とか奥さんとかは、すごく便利な言葉だなと思った。英語ではMy wife、My wifeといえばYvon LambertのBrunoがよく言っているイメージだった。My Wifeになると特に違和感はないかもしれない。ぼくはいつになったら聖子ちゃんのことを聖子ちゃんと呼ばなくなるのだろうか。きっと死ぬまで聖子ちゃんは聖子ちゃんと呼ばれてしまうだろうな。
今こうやって書きながら、朝の川について思い出していると、うなぎもいないし、どこかぬめっとした家庭汚染水のようなものを感じる場所もあるし、ちょっとどころか結構臭いような気がしてきた。まあ身体についても洗い流せばいい話だから、そんなこと以上にStella自身が楽しんで水にダイブしたり、泳いだり、水というものに慣れてくれたらぼくは幸せだ。
帰って、シャワーを浴びて、テーブルの定期メンテナンスをして、床を水拭きしする。家で溜めてしまっていた書類の整理したり、掃除したり、バルコニーで日光浴をしたりしながらうだうだと過ごす。何もしなくても汗が出てくるほど暑いので、家で全裸で汗をかきながらうだうだとするのにちょうどいい。
夜は、高校の同級生吉岡ともんぴと新宿三丁目の随園へ。二人とも「うちの嫁さんがよー」とか「奥さんはさー」とか話していて、いまだにぼくは「聖子ちゃんがー」とか「彼女がー」とかしか言っていなくて、不思議な感覚。「うちの嫁がこれであれでこれやから」とか言ってみたいとは思ったことはなかったけれど、嫁とか奥さんとかは、すごく便利な言葉だなと思った。英語ではMy wife、My wifeといえばYvon LambertのBrunoがよく言っているイメージだった。My Wifeになると特に違和感はないかもしれない。ぼくはいつになったら聖子ちゃんのことを聖子ちゃんと呼ばなくなるのだろうか。きっと死ぬまで聖子ちゃんは聖子ちゃんと呼ばれてしまうだろうな。