2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.6.26

Translate

2022.6.26

ぼくは、基本的に暑くても寒くても歩くのが好きなのだが、街を歩いていると、すれ違いざまに歩行者たちが会話している言葉がバッチリと聞き取れることがある。それは、もちろん声の大きさとか、距離感とか、通行量とか、道の構造とか、こちらの意識の矛先とか、さまざまな理由に起因して聞き取れたり聞き取れなかったりするのだけれど、色々な状況が重なって、驚くほどにしっかりと聞き取れることがある。でも、大概において聞き取れるのは一言だけなので、「光さん、もう足を切り落とすしかないわ」とか聞くと、無駄に想像力が働いてしまう。彼が駆け出しの映画監督で今脚本を書いているので歩きながら主演を演じる彼女に台詞読みを頼んで思考を巡らせていたのかもしれないとか、大変な事件にひょんなことから巻き込まれた若いカップルが、家には既に盗聴器を仕掛けられてしまい、歩きながら重要なことをひそひそと話しているのではないかとか、とんでもないことを考えてしまう。
今日も日比谷公園に向かって歩いていると、ぼくと横並びになったのと一寸の狂いもないタイミングで子連れの女性がすれ違いざまに「調子にのるな」言い放ったもんだから、青空の下気持ちよく鼻歌に歩幅を合わせてリズム良く歩いていたぼくはドキッとしてしまった。
最近、nidi galleryでの展示が大盛況で終わって、ひと段落して、ファッションの撮影もちょうど終わったし、それにStellaが朝早くから一緒にランニングも行ってくれるし、リードを外してもぼくのいうことを理解して歩いてくれるし、家もサマーハウスのようで気持ちいいし、なかなか良い日々だったから、もしかすると、ぼくはそのお母さんに言われる通り調子にのっていたのかもしれない。だけれど、次の展示場所だってまだ正式には決まってないし、新しく撮り溜めているシリーズだってまだ形にはなっていないし、車買ったり家を買ったりするほど稼いでいる訳でもない、裕福に1万円もするバスタオルを買ったりとかしていない。はっきり言って別に人生がうまく行っている訳でもない。相変わらずすっきりとしない悶々としたモラトリアムな日々を過ごしていることには変わりないのだけれど、やっぱりどんな人間でも夏のせいで調子にも乗ってしまうのだろうか。とか、その一瞬でビビビッと想いを巡らせてしまった。だからって、そんなに大きな声で全く見ず知らずに人に「調子にのるな」と言われるようなほど調子にはのっていないと思うんだけどな、とか考えながら、恐る恐る後ろを振り返ってみると、子供が右手におもちゃのような袋を握りながら駄々をこねていた。
ああいうのって、もう少しタイミングを見計らっていってもらえないですかね?ぼくだってアルファロメオのカブリオレにノースリーブの似合う若い女の子を隣に乗せて青山通りを颯爽をドライブするみたいに調子にのりたくても、調子にのれない日々が続いてるんだから、たまには調子にのれるように、一つ子連れのみなさま、通りすがりの悶々とした青年とすれ違うときには気を遣って厳しい一言を言わないように、悶々とした青年代表としてなんとかお願いします。