小津安二郎『晩春』を鑑賞。
Stellaの散歩を兼ねて、自由が丘に新しくできたOnibus Coffeeで一服。テラスがあり、レジもStellaを連れて入ってもokということでかなり快適。
Stellaの散歩を兼ねて、自由が丘に新しくできたOnibus Coffeeで一服。テラスがあり、レジもStellaを連れて入ってもokということでかなり快適。
テラスに座っていると、ちょっと小汚い野良猫にご飯をあげてそうな年配のおばさんが通りすがりにStellaをみつけて隣に座ってきた。苦手な感じの方だなと直感的に感じていたので、隣に座られてゾッとしたのだけど、犬の話ではなくて「ここのコーヒー美味しい?」とか、おばさんの好きなコーヒーについてStellaを触りながら話し続けてきた。コーヒーが美味しいかなんてその人の舌も違うし、気分によっても味なんて変わるのだから、「人それぞれ好みが違うし飲んだらどうですか?」と言ってみるも、無視して「私は酸っぱいコーヒーは苦手で〜ほら、キリマンジャロとかあるでしょう?ここのはフレンチ?」とかまだ話すもんだから、イライラしてしまって、まだStellaのことを触り続けていたので、「そんなに触るとこの子のストレスになるからやめてくださいます?」と語気を強めてみたら、「ああああ、ごめんね。」とささっと去っていった。
チェーン店ではない個人経営の働いている人の顔のわかるようなこの手のお店って、ある程度の民度を持つというか、それが好きな人が大体似た価値観のもと集まっているという風に思っていて、そして、働く人たちの態度があり、だからこそそのお店にはある種の品位とか、快適さを保つことができると思っているけれど、なんだか今日の一件で、この街とこの場所の場所の相性と言うか、この店がまだこの場所に馴染みきれていないから、ある種ちょっと違う層の人がふらっとこれる境地にまだあるのかもしれないなと感じた。
ぼくらが個人店に行く理由は、あえて言語化するならばその快適さだと思っていて、それは働く人だけが作れるものだけではなくて、どんなお客さんがどんな風にその場を過ごしているかで大きく変化する。ぼくにとっては、それがカフェの楽しさの一つなのだ。
まあ、パリのカフェとかなら変な人に話しかけられることはしょっちゅうあったが、ギャルソンが来て、注文を取りに来るなり、追っ払ったり、そんな風にその場を一緒に作ろうとする態度が働く人にある。Onibusのスタッフにそこまでの態度がないからか、ぼくは謎の時間を小汚いおばさんと一緒に過ごすこととなり、ぼくが追い払うことになった。追い払うと言う言い方は失礼だけれど、追い払う以外の言葉が見当たらない。そういう意味では、onibusのスタッフはまだまだカフェスタッフとしては未熟である。
このおばさん、小汚いから悪いわけでもないのだけれど、「コーヒー美味しいの?」とコーヒーショップに座りながら聞いてくるようなおばさんとは価値観が合わないことが悪いのだ。決しておばさんが悪いわけではなく、場所とぼくとの相性が悪かった。
もし、このおばさんがお客さんで話しかけられたとしたら話は全く違う次元になる。
物事は、正しい場所で正しく出会わないと、それは無力となる。