腸内環境を整えるためにマイフローラを飲んでいるのだけれど、二日目にして早速効果が出てきたようで、快便。
朝からヨガをする。少しだけコーヒーを飲む。米山さんにいただいたハニーがとても美味しいのと、あと聖子ちゃんの友人アッコさんからいただいたイタリアのBeppino Occelliのバターがあるのでハニートースト。このバター、めちゃくちゃ美味しい。普段食べているオーストラリアのバターがどれだけ動物的な味をしているかがよくわかる。Beppino Occelliのバターは、クリアで透き通ったような味わい。エシレバターとかともまた違う印象。もっと軽い口当たり。ウェブサイトを見ても、taste can’t be told, tatse themと書いてあり、よっぽど味への自信があるのだろうと感じる。そのくらいコンフィデンスを持っているのは素敵なことだなと思う。白人文化の中にいると、みんなコンフィデンスを持って仕事していると感じる。日本ではなんだか謙遜というか、恥じらいというか、そういうものを持つことが美徳とされているのか、無意識にそうなっているのかはわからないが、あまりコンフィデンスを持っていることが見える人がいない。誇張したような無理なコンフィデンスの人はたくさんいるが、力の抜けたコンフィデンスの持ち方をしている人にはなかなか出会えない。聖子ちゃんなんかはどちらかというと力は抜けつつ自分の存在とか自分の仕事にしっかりとコンフィデンスを持ちながら生きているように感じられる。そんなところが彼女の魅力でもある。
仕事帰り、また虎ノ門ヒルズまで歩いて帰る。25分くらいの散歩なのだが、特に日曜日のこの時間は人がいなくて気持ちがいい。この周辺は大きい建物ばかりなので、道も広いし歩いていてシティを歩いている気になる。
こういうところに住みたいという訳ではないが、それでも日常的に通るのはいいなと思う。でもなんでここでもっと人間の生を感じられるようなマーケットだとかが生まれてこないのだろうか。きれいにしたのであまり汚くしないでください的な何かが存在するのだろうか。
なんだかストレスが溜まりすぎているので、Stellaにもイライラしてしまう。聖子ちゃんがいないと不安になってしまうようだ。
久しぶりにStellaと二人で散歩に行く。しっかりと歩いてくれるが、やっぱり数日前ほどいうことを聞いてくれない、こちらがイライラしているとしっかりとそれさえも感じているようである。イライラしすぎるので、ヨガもできず、お風呂にだけ浸かって早めに就寝。
自分に自信がなくなるし、自分の居場所さえ見つけられないような気分である。家に帰っても吠えられ、聖子ちゃんにもぼくの態度を指摘され、会社に行っても本当にこんな日々でいいのか、自分のしたいことではないことをし、建設的に話を持ちかけてもやる気のない人たちと仕事をし、一生同じミスを繰り返されそれを修正するだけの日々。本当にそれが自分がやるべきことなのだろうか。そんなことを数年間も続けているうちに自分は一体何がしたくてこの会社に入ったのか、何を学びたかったのか、何を得たのか、多くのことを失ったような気もする。それは会社のせいではなく自分自身のせいでもあるのだろう。そう考えると心臓が止まりそうになるし、あまり自分を責めるようにしたくはないが、それでも自分自身で招いてしまったこの状況を自分自身で変えないことにはずっと文句や疑問を感じながら、ぼくである意味がない仕事をし続けることになる。お金のためならもっとお金の良いところで働くべきだろう。この会社で働くのはお金のためではないのは明確である。あまり仕事のことで幸せに感じられたことがないが、自分の人生はこうやって過ぎ去ってしまうのだったら、その原因になっているものは止めるべきである。じゃあどうやって生活していくか、そこを考えなければ。
朝からヨガをする。少しだけコーヒーを飲む。米山さんにいただいたハニーがとても美味しいのと、あと聖子ちゃんの友人アッコさんからいただいたイタリアのBeppino Occelliのバターがあるのでハニートースト。このバター、めちゃくちゃ美味しい。普段食べているオーストラリアのバターがどれだけ動物的な味をしているかがよくわかる。Beppino Occelliのバターは、クリアで透き通ったような味わい。エシレバターとかともまた違う印象。もっと軽い口当たり。ウェブサイトを見ても、taste can’t be told, tatse themと書いてあり、よっぽど味への自信があるのだろうと感じる。そのくらいコンフィデンスを持っているのは素敵なことだなと思う。白人文化の中にいると、みんなコンフィデンスを持って仕事していると感じる。日本ではなんだか謙遜というか、恥じらいというか、そういうものを持つことが美徳とされているのか、無意識にそうなっているのかはわからないが、あまりコンフィデンスを持っていることが見える人がいない。誇張したような無理なコンフィデンスの人はたくさんいるが、力の抜けたコンフィデンスの持ち方をしている人にはなかなか出会えない。聖子ちゃんなんかはどちらかというと力は抜けつつ自分の存在とか自分の仕事にしっかりとコンフィデンスを持ちながら生きているように感じられる。そんなところが彼女の魅力でもある。
仕事帰り、また虎ノ門ヒルズまで歩いて帰る。25分くらいの散歩なのだが、特に日曜日のこの時間は人がいなくて気持ちがいい。この周辺は大きい建物ばかりなので、道も広いし歩いていてシティを歩いている気になる。
こういうところに住みたいという訳ではないが、それでも日常的に通るのはいいなと思う。でもなんでここでもっと人間の生を感じられるようなマーケットだとかが生まれてこないのだろうか。きれいにしたのであまり汚くしないでください的な何かが存在するのだろうか。
なんだかストレスが溜まりすぎているので、Stellaにもイライラしてしまう。聖子ちゃんがいないと不安になってしまうようだ。
久しぶりにStellaと二人で散歩に行く。しっかりと歩いてくれるが、やっぱり数日前ほどいうことを聞いてくれない、こちらがイライラしているとしっかりとそれさえも感じているようである。イライラしすぎるので、ヨガもできず、お風呂にだけ浸かって早めに就寝。
自分に自信がなくなるし、自分の居場所さえ見つけられないような気分である。家に帰っても吠えられ、聖子ちゃんにもぼくの態度を指摘され、会社に行っても本当にこんな日々でいいのか、自分のしたいことではないことをし、建設的に話を持ちかけてもやる気のない人たちと仕事をし、一生同じミスを繰り返されそれを修正するだけの日々。本当にそれが自分がやるべきことなのだろうか。そんなことを数年間も続けているうちに自分は一体何がしたくてこの会社に入ったのか、何を学びたかったのか、何を得たのか、多くのことを失ったような気もする。それは会社のせいではなく自分自身のせいでもあるのだろう。そう考えると心臓が止まりそうになるし、あまり自分を責めるようにしたくはないが、それでも自分自身で招いてしまったこの状況を自分自身で変えないことにはずっと文句や疑問を感じながら、ぼくである意味がない仕事をし続けることになる。お金のためならもっとお金の良いところで働くべきだろう。この会社で働くのはお金のためではないのは明確である。あまり仕事のことで幸せに感じられたことがないが、自分の人生はこうやって過ぎ去ってしまうのだったら、その原因になっているものは止めるべきである。じゃあどうやって生活していくか、そこを考えなければ。
これが愚痴だと言われればそれまでなのであるが、ぼくの中では愚痴ではない。まず思考を整理するために文字起こししているということと、パブリックな場所で不特定多数に対しての語りであるという点で愚痴とならないと思っている。自分に対しての怒りである。
ふと思ったけれど、ぼくの人生はこれの堂々巡りじゃないか。このサイクルを抜け出さないと次に進めない。