2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.10.7

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2021.10.7

栗原康『死してなお踊れ』読み進める。面白くてグイグイ飲み込まれるように読み進めてしまうので、電車に乗ってすぐに本を開き、降りるまで一度も回りを見ないということもあるほどである。

腰の調子が悪いので、お風呂に浸かってストレッチしたいのだけれど、仕事が終わらず、家に帰るのが遅くなってしまったので、帰宅してお茶を淹れてすぐ20時半からマンツーマンレッスンを受講。Esiさんという南アフリカ、ヨハネスブルグ在住の先生。たった20分なので盛り上がってきた頃に終わってしまうのだけれど、色々と相談できた。

友達や会社の同僚と英語を話す分には問題ないのだけれど、ぼくはプレゼンや飛び込みで本を販売したいときにどんな風に面白く伝えられるかを勉強したい。別に英語ではなく日本語でも必要になりそうな能力なのであるが。

友人だとか同僚というのはある程度自分のことを理解した上で会話をする。誰でどこから来たのか、何をしている人なのか。そういう人との会話はある程度話せれば相手の想像力が補填してくれるのだ。先生と生徒もよく似ていて、二人は初対面であろうが、先生は先生を演じ、生徒は生徒を演じる。だから、そこには共通の会話が存在する。何が話したいのか、わからないならわからないなりに聞く必要が、話す必要があるのだ。

しかし、全然興味も何もない、どこの馬の骨かもわからない奴の話に興味を持つのはよっぽど面白そうか、話が面白いか何か惹かれるものがないといけない。ぼくはそれを求めて英語の勉強を始めたのだ。

それを先生にいうと、英語でトークショーとか、インタビューとか、コメディを見たらいいと思うと言ってくれた。確かに、今必要なのは人が興味を持ってくれることなので、面白さとかどんな風に振る舞い言葉を使うかなのだろう。

夜中にサッカーW杯最終予選のサウジアラビア戦を鑑賞したいので、22時半ごろ布団にはいる。寝ようとしていたところに大きめの揺れがあり目が覚める。地震は突然やってくる。

試合結果は0-1の敗戦。惜敗でもなく惨敗だ。惨めだ、最悪だ。