2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.10.20

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2021.10.20

昼は、The Apolloへ。天気がすごく良いので、どこか開放的で都会的な気持ち良さを感じられる場所でランチをしたいと思い、一人でThe Apollo。こういう場所に来るとスーツをきっちりと着てゆっくりランチを食べているインターナショナルな人たちを見ることが出来る。洋服を上手に楽しく着る人はすごく多いけれど、仕事をしている人でスーツをきちんと着ている人がいないなと街を歩いていると思う。それは、スーツの問題なのか、それとも着る人の体型や姿勢なのか。10代の頃のぼくは、スーツを着て仕事するということに嫌悪感を感じていたのだけれど、歳を重ねるときちんとスーツを着て仕事をしている人がカッコよく見えてきたのである。自分の発言なんてすぐ変わってしまう。
今日のぼくを含めここにいる彼らは、お金や時間があるからここで食事をしている訳ではなく、スタイルの問題なのだ。
向いのビル越しの光の反射も気持ちいいし、ビルの最上階にあるので大きな窓越しに見えるビル群も青空も気持ち良い。別に公園で食べるサンドウィッチでも、路上の牛丼屋でもいい。それはその時々の気分であり、その本人のスタイルなのだ。個人のスタイルのない生き方をするのは、なんだか他者にとっても失礼なのではないかと思う。きっと最初はそれが何かの誰かの真似でもいいんだ、そこには必ずしも個人の意思と態度が伴ってくる。人から何を言われようと崩れない意思と態度があれば、それは個人のスタイルとなっていくのではないか。
こういう風に仕事中に気持ちよく食事をしていると、いい加減ニューヨークに行ってみたいなと思う。映画でしか観たことのないニューヨークは、ビル越しの光の反射や差し込み方、隣り合う人との関連性、高層階と地上階のギャップ、大都会化する中で意地でも現存する小売店など、そんなものにある種の憧れを抱いている。ルーザーとして、ごろついた若い頃の記憶を昇華し、違う価値観の中で生きていきたい。
もう少し銀座に都会的で光や音などライブ感のあるお店が増えてくれればなと思う次第である。もちろん、会社員としては、日々の資金繰りは苦しくなるが、そんなことはどうにか解決するしかないのである。もっと大きな問題は、スタイルの欠如である。
夜は、タイカレーを食べる。久しぶりに聖子ちゃんの作るタイカレーを食べたが、めちゃくちゃ美味しい。
一般的な正しさを語っていてもそれではどこにもいけない。会社にいると一般論がまかり通り、一般程度に思考するようになる。そこでは、一般的にはこうであり、そうするべきであるというものがある種の正論であり、それについて議論される。その正論や、一般論は会社として明確な目的があるから、それに向かって意見が精査されていくからできあがるものであるが、そもそもの目的と向かうべき方向性が正しいのかどうかを考えなければいけない気もしている。
それは、会社に対する愚痴ではなく、今自分自身が書いているプロポーザルにおいて、自分の中で一般的な視点で物事を考えることが強くなってしまったということを懸念しているからで、ふと彼女に一般論を並べても誰の心にも響かないよと言われたので、主観に力を入れて書き直しをしている。名の知れないアーティストとして、語られ尽くした一般的な意見を並べたところで、価値はどこにあるのだろうか。突飛である必要はない、ただ自分だけの視点はどこだ、スタイルは何か、どう生きているのか。それは必ず自分の中に存在する、ただきちんとそれを言葉にする必要があるのだ。