2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.9.16

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2021.9.16

普段二人で生活していて楽しいのだけれど、一定の期間一人で生活するとなるとあれもしたいこれもしたいというのがとても多くなってしまい意外と忙しい。
例えば、今日だとキッチンの棚を作りたい、荷物の受け取り、レバー炒めを作りたい、アフターアワーズを観たい、掃除をしたい、自転車の修理をしたい、お風呂に浸かりたい、肩甲骨が凝り固まっているのでマッサージに行きたいなど、これを19時に帰ってから全てするのは不可能なので、みんなどんな風に過ごしているのか不思議でならない。もちろん1日でするつもりはなくともなぜか一人の時に全て終わらせないとという強迫観念に駆られる。
それから、とんきにも行きたいし、カフェで一人でボーッとしたい。Cairoのあれこれも早く進めたいし、(これは一人じゃなくても出来るので問題ないが)なんだか一人となるとあれもこれもと忙しくなってしまい、自分のリズムを完全に崩してしまう。
夜は、レバーとししとうを炒め、昨日の残りのなめこ汁と、もずくと納豆を食べる。白ごはんから玄米に戻したいのだけれど、なんだか買う余裕がなく、
最近、色々なことがその場しのぎになっているように感じる。少し前であれば、醤油はここ、オリーブオイルはここ、米はこれ、パスタはあれ、コーヒーはこれとかかなりめんどくさいくらいに拘っていたが、今は気づけば醤油はオーガニックなら良し、料理酒もスーパーで買っている。パスタはある程度、ペンネはここ、スパゲッティはこれ、リガトーニならここと決まっているけれど、オリーブオイルは気軽に買えるきちんとしたもの、米はスーパーで買っている。コーヒーもいろいろ試して買っている。と書いてみるとそれほど拘りを捨てているようには感じない。頭で思っているほど実際は悪くないのかもしれない。やはり以前はガチガチに決めていたので、それに比べると拘りが弱くなったので頭では最近はダメだと思ってしまうが、実際はそうでもないか。
食べ終わってすぐにお風呂に浸かる。だいぶ前にBio C’bonで買った賞味期限が切れていたライスミルクを湯船に浸かりながら飲む。すごくおいしい。ZADNでサッカーを観る。
お風呂から上がり、洗濯物をたたみ、ヨーグルトを準備して、マーティン・スコセッシ監督『アフターアワーズ』を鑑賞。ほぼ見終わったところで、そのままベッドに倒れ込んで就寝。
さて、自分がしたいことをしているのか、はたまた任務を遂行するようにただ行動しているのか。今夜は後者のようにしか思えない。ひどい夜だ。思考と心と身体がズレているように思う。本当にこれが自分の一番心地よい夜の過ごし方だっただろうかとこれを書きながら自問する。この夜の過ごし方はどうだ。映画を観るのを21時からとするならば、ご飯は19時には食べ始めなければいけない。お風呂はその前だ。そうなると家に帰るのは18時だ。今の仕事の仕方ではこの夜の過ごし方はできない。
同時にこれだけやりたかったことを済ませると達成感はある。しかし、一つ一つの達成度合いが心地よいものか、満足のいくものかは別の話になる。それでも継続し達成しているだけで良い時も必ずある。