2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.8.9

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2021.8.9

昼にカポナータを食べる。一晩冷ますと味がさらに締まる。個人的には、ラタトゥイユもそうだけれど、カポナータも夏にはよく食べている。好きな料理の一つである。
パンと食べるのもいいし、パスタにあえるのもいいし、クスクスでも玄米でも美味しい。保存も出来るし、作るのも楽しいし季節の野菜を存分に使えるポジティブな料理である。と書いたもののネガティブな料理とかあるのだろうか。取引先さんの家に招かれてメインが終わった後に出てくるご飯ものとか、もしくは昼休みに入っても食べなければいけない給食のようなものか。幸せが一転とてつもなくネガティブなものに変わるときは時にある。そんなことを当たり前に感じられることが素晴らしいことだ。今日は、長崎に原爆が投下された日である。広島の後に、なぜ長崎に落とす必要があったのか。そもそも小倉に投下する予定で、悪天候のため長崎に投下されたのだから、なんともアナログな感覚だったんだなと思う。原爆投下という非人間的な行為の中でも人間が生きる地球に自分たちの行動が左右されているということは、気になる点である。ホロコーストの話も原爆の話も、生死を分けるのはぼくたちの日常生活にも存在するような些細な出来事であって、例えば、忘れ物をしたから地下に取りに入ったら被曝を免れただとか、体が衰弱していてよろめいたから列を外れ生き延びだだとか、自分たちが考えても仕方ないことによって生死が決まっていく。そんなことは、平和な今だから言えることであるが、人生とはほんの数ミリのことで決まっていってしまうし、日々は過ぎ去っていく。
昼過ぎまで家で過ごし、カヤさんに会いに西小山のSame Galleryへ。Tono Antiquesという骨董商を始めた。原正樹さんのブロンズを購入。カッコいい。
聖子ちゃんは、Mackの仕事が最終日なので仕上げるために帰宅し、ぼくはnidi Galleryへ。代官山のバールで一服。代官山蔦屋書店へいく。なんだか活気があるなと思ったし、若者が溢れていた。なんだか不思議な光景。この前コマチーナで買い損ねたレシピブックを購入。ヒルサイドテラスをちょっと覗いて、中目黒まで歩いてDessinで本を物色して電車で田園調布まで。信濃屋でパスタを買った。店員さんに「コマチーナのレシピブックいいですね!」と声をかけられ、少し話す。坂を下り、最近できた八百屋に行き、パセリとブルーベリーとデラウェアを買う。店員さんとフルーツの季節について話す。なんだか田園調布はのんびりとしていて人間が生きている街だなと思う。忙しすぎて人と話す余裕のない都会の人とは違って、少しでも会話が生まれるとなんだか自分がこの街で生活しているんだなと思わされる。
夜は、ひたすら本棚の構造についてリサーチ。聖子ちゃんにはだらだらしていると思われているけれど、ぼくは悩んだり考えてたりしている時間が人より長いので、仕方ない。別に悩んで最初と同じ答えになってもいいと思っている。人はそれを無駄な時間というが、決してそうではないと僕は思う。優柔不断と言う言葉はネガディブだけれど、いろいろな視点から物事を考えていると言えば少しポジティブなイメージになるのではないか。