2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.6.29

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2021.6.29

昨晩、しっかりクリームや薬を飲んで寝たこともあって目覚めが良い。いかに睡眠が重要かということがわかる。薬を飲むことには抵抗があるが、それでも飲んだのなら効いて欲しいと思っている。精神的にも、思考の部分でも健康的であると実感。
働いているビルの関係者枠で、ワクチン接種をさせてもらえることになった。
自分は、もし機会が回ってきた時にワクチンを打つのだろうかと考えていたが、考えているのと実際にその機会が来たのでは思考の深みが全く違う。気付きとはこういうことである。
空想の間は理想を語るが、差し迫った時には、リアリティが現れる。もちろん、そこには表に見えないまでも大なり小なりの葛藤や生々しさがある。ワクチンに対する意見はさまざまでだいたいの多くは、ワクチンを打ち早く生活を取り戻したいというようなものだが、一方で懐疑的な意見も多い。東洋医学者や免疫学系の学者からは、時期尚早だという意見が多数あるが、彼らは普段から西洋医学とは逆の思考の中を生きているのだから、反発が起きてもおかしくない。そんなぼくも例に漏れず、薬を嫌い、免疫力、菌を信じている一人である。確かにワクチンが完成して数ヶ月でこれだけ多くの人が接種するというのは素人目にも、多くの学者たちが懐疑的な意見を持つことは明らかでそれに対してデマが流れても仕方ないとは思う。結局、未来のことに関してはほとんど誰にもわからないのだから実際には自分で決断するしかないのである。みんなが接種するから自分は接種するのか、自分が気持ちよくないから接種しないのか。
結局のところどんな風に生きていたいか、という問いに繋がるのである。
仮に、大袈裟な話にはなるがワクチンを接種して、宇宙人に変わるとする。接種しない場合は人間のままだ。
宇宙人と人間では生活が違う、生活できる場所が変わってくる。食べるものも違う、睡眠方法も、話す言語も、歩き方も、モノの見え方や捉え方、価値観もすべてが違う。
自分はひとりぼっちでも地球で生き残りたいのか、それとも愛する人たちと共に生きていたいのか単純にその2択になってくる。
もちろん、愛の形は様々でいま愛する人がいなくなったとすると違う愛する存在が登場する可能性もあるので、宇宙人になり、いま愛する人が人間のままで、人間が絶滅してしまったとする。宇宙人のぼくは宇宙人の誰かを愛する可能性は大いにあるし、人間由来の宇宙人であるぼくは愛の重要性をよく知っている宇宙人であり、初期宇宙人というのは、きっと人間由来の宇宙人が多いので、愛の重要性をよく知っている。そんな人と出会ったらまた愛を持つ可能性もなくはない。それが今ほどの大きな愛かは別として。
今、愛する人がいるぼくは、彼女と一緒に生きていたいから同じ選択をする。彼女が宇宙人になるなら、ぼくも宇宙人になるし、ならず人間の存在でいるのであれば、ぼくもそうしたいと思う。
自分の意思はそこには存在しないのかと思われるし、最初は自分でも驚くような思考だなと思ったが、実際のところ、大前提としてその人を愛するという選択は自分の意思であり、気が合う、相性が良い、そんな部分は自分がこれまで生活してきた中で生まれ作られてきたものなのだから、自分の意思は確実に存在するのである。