2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.5.5

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2021.5.5

朝から本の梱包。
10時過ぎに家を出て、北参道のCIBIへ。久しぶりにコーヒーを飲む。多分、コーヒーを飲むのは3週間ぶりである。それほどにカフェインの摂取をやめていた。割と調子は良かったので、カフェインを止めても良いかもしれないと思っているが、どうしてもエスプレッソのリズムをやめられない。人は何のためにエスプレッソを飲んでいるのだろうか。
最近、人の生は一刻一刻と死に向かって進んでいるんだなと実感すると絶望感でいっぱいになる。その絶望感が根底にある日々の中で人の人生の中で何ができるのだろうか、自分はその生を全うしたという自負を持って死ぬことができるだろうか。この問いはフィジーに住むと決めた時にも同じものを持っていた。
その絶望感が根底にある生の中で、ぼくたちは自分の自分なりの心地よさと人と生活することにおいての厳しさや難しさを乗り越えながら生きているのである。
生活の中のエスプレッソは、ぼくの生活の中においては、心地よさを生む一つのリズムを産むためのものでしかないのかもしれない。カッコよく生きることも、色々なことに耐え我慢をして生きることも、欲求のままに生きることもそれが本人の心地よさであるのであれば、許容して生きたい。ただ、人は一人で生きていないので、社会性や人と生きることを理解しながら心地よさを見つけるしかないのだろう。
そんな中で何かを人に強制するという力は何に依存した思考なのだろうか。