今日も銀座へ。
お昼はおにぎりを食べる。その後、オーバカナルのテラスでカフェノワゼット。「写真と文学」を読み進める。
帰り道、前を歩いていた人が
「みんなほんとに出歩いてるよね、色々麻痺してるよね、自分たちもだけど」
と話していて、今90%くらいの人が同じ感覚を持って生きているのかもしれないと感じ、鳥肌が立った。ぼくも同じ感覚だった、外食を控える、夜は真っ直ぐ帰る、職場でも最低限の関わりで抑えるようにする、嫌な顔をされても在宅勤務をするなど、ある程度自粛してるとはいえ、実際は電車に乗り、通常の人たちと変わらない移動形態を取っているのが実際のところなのである。
そして、ぼくも同僚や知人に対して
「みんなほんとに出歩いてるよね、色々麻痺してるよね、自分たちもだけど」という言葉発しているかもしれないし、同時に同僚や友人から
「みんなほんとに出歩いてるよね、色々麻痺してるよね、自分たちもだけど」
と至るところで聞かされているのである。結論から言うと、生きるということは、自分がどうありたいかという意思がある行為と、人に流されない勇気が必要なのである。
お昼はおにぎりを食べる。その後、オーバカナルのテラスでカフェノワゼット。「写真と文学」を読み進める。
帰り道、前を歩いていた人が
「みんなほんとに出歩いてるよね、色々麻痺してるよね、自分たちもだけど」
と話していて、今90%くらいの人が同じ感覚を持って生きているのかもしれないと感じ、鳥肌が立った。ぼくも同じ感覚だった、外食を控える、夜は真っ直ぐ帰る、職場でも最低限の関わりで抑えるようにする、嫌な顔をされても在宅勤務をするなど、ある程度自粛してるとはいえ、実際は電車に乗り、通常の人たちと変わらない移動形態を取っているのが実際のところなのである。
そして、ぼくも同僚や知人に対して
「みんなほんとに出歩いてるよね、色々麻痺してるよね、自分たちもだけど」という言葉発しているかもしれないし、同時に同僚や友人から
「みんなほんとに出歩いてるよね、色々麻痺してるよね、自分たちもだけど」
と至るところで聞かされているのである。結論から言うと、生きるということは、自分がどうありたいかという意思がある行為と、人に流されない勇気が必要なのである。