2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.5.16

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2020.5.16

8時前に起床。4時頃目が覚めて、もう一度寝てしまう。散歩には行けず。顔を洗い歯を磨き、ヤカンに火を入れる。朝食にバナナを食べる。土曜日でゴミの日なのでゴミを出す。ゴミ出しの日がすごく好きである。一気に気分が良くなるし、なんだか色々なものを処分した気分になるのだ。実際には、ただただ家庭で出たゴミを捨てているだけなのであるが、溜めていたものを一気に出すという、便所に行った時と同じ気持ちである。たまに、あ、これ捨て忘れたと思うことがあるが、それも便所に行った時に思う感覚に近い。そんなことみんなもあるでしょう?
8時半から仕事をする。今日は、昨日仕上げたWebページの修正など。やっぱりきになる部分はたくさんあり、修正が必要である。一気に仕事をしたので燃え尽きるような感覚になった。13時になったので昼食にリゾットを作る。今日は、チーズと玉ねぎ半玉しか残っていなかったので、リゾットにした。それにしても買い出しの頻度を減らすとすごく快適に食材を使うことが出来ているように思う。一人暮らしで割と厳しく生活しているので、本当に小さい冷蔵庫しかなくてもなんとか10日間分の食材を一回で買うことが出来ている。家にいる方が明らかにきちんと生活できているし、もりそばとか、とんかつとか、ピッツァとかは食べられないけれど、違う生活が出来ている。最近のルーティンは13時なると料理をはじめることになっている。ルーティンに囚われて本来何をすべきかを失いがちなのでルーティンは実際のところあまり好きではないが、理にかなうことが多い。時間的なルーティンは気分の切り替えに一役を買うけれど、行為のルーティンには意味が見られない。例えば、右足から靴を履くことや、髭を左の頬から剃ることになんの意味があるのかはぼくは正直理解できない。いや、理解はできるが、ぼくの場合はそれに問わられて本来の目的を失いがちである。左の頬から髭を剃ることは、何を目的としているのか、本当は綺麗に剃り残しなく剃ることが目的なのであって、左から剃ることには全くの意味はない。もちろん、それが訓練であり、型なのであればそうするべきかもしれないが、なんだか自分の性格には合うようで合わないのだ。ぼくはもともとルーティン的な人間なので、無意識的に同じものを食べるし、同じような服を着て、同じような行動ばかりしているが、そんなぼくがさらに何か意識的にルーティンを加えていくと本当にそれに雁字搦めになり、本来の自分の姿を出せなくなるのだ。と気付いている。
数日間本当に勤務時間外でも仕事をしまくっていたので、今日は勝手に時短にする。買い出しの日なので16時ごろ家を出る。目的は肉の手塚とむすびガーデンである。あと、どこかで花が買えたらと思っている。肉の手塚で牛スネ肉を買おうとするが、またカレーは今度にしようと思い諦め、合挽きミンチと鶏むね肉を買う。またPolpetteを作る予定。雨なので、少し肌寒いが、晴れの日に比べると雨の日の方が安心して外出している自分がいる。雨だと人も少ないし、なんだか空気がスッキリとしているように感じる。むすびガーデンで1万円分くらい買い物をし、帰宅。パンが買えなかったので、一度家に帰り、家の近くの一本堂で食パンを買う。いつも買う食パンがないので、高級な食パンを選ぶ、5枚にスライスしてもらう。貧乏生活を強いられているということで、6枚にして自分を戒めようかと思ったが、このディテールは譲れないと思い、5枚でお願いする。5枚と6枚じゃ、4mmの違いなのであるが大違いである。ぼくが人生で食べてきた食パンはきっと5枚切りなのだ。家では食パンを食べた記憶が全くなく、食べたのはコーヒーハウスマキか、六曜社か、その辺の関西のコーヒーショップだけなのであるが、どのお店もきっと5枚切りの食パンを使っているはずである。4mmの差が自分の美意識を妨げるような気がしてならないのである。花を買いに行こうとするも営業しておらず。帰って一番にお風呂に入り、買ってきた食材を洗う。
夜は、むすびガーデンで買ったたいのこを煮たものと白ご飯、味噌汁、梅干し、グリーンサラダを食べる。なんだか久しぶりにゆっくり食事が出来た。だいたい仕事をしていると、適当にさっと食べたりしているのだけれど、こうやって心を穏やかに食事をする時間が必要だなと思う。聖子ちゃんと電話をしながら食事したのも良かったのかもしれない。人と話しながら食事をするのは楽しい。そんなことが楽しいなんてことをずっと忘れてしまっていたようである。人はすぐに忘れる。
食後、エリック・ロメール『友達の恋人』を観て就寝。ロメールの世界観が完成されすぎていて嫌になる程である。物語は、二人の男の子と三人の女の子の話なのであるが、エマニュエル・ショーレが演じる主人公の内気なブランシュがすごく好きだった。レアは、『美しき結婚』で魅力的な無口な妹役を演じていたソフィー・ルノアール。知らなかったのだけれど、この若い娘、ジャン・ルノアールの孫娘らしい。もちろん印象派の画家、オーギュスト・ルノワール曽孫ということになる。ブランシュは、恋に恋しているような雰囲気を持っていて、実践になるとすぐに本来の内気さが発揮される。レアはおしゃべりで口から出鱈目を言って男を弄ぶことができる。ただ、なぜかロメールにかかると性格の真反対などちらの二人ともが魅力的に描かれるのだ。ぼくにとっては内気なだけれど、夢見がちな、内に激しいエロスを秘めているブランシュが魅力的に感じた。それにしても、『満月の夜』もそうだったが、ロメールのパリ郊外の新興住宅地シリーズはすごく魅力に溢れている。個人的にはこの時代のパリ郊外の無機質な雰囲気はすごく好きである。