2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.5.14

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2020.5.14

朝は、4時台に目がさめる。なんだか、不思議な夢を見たのだけれど、何も思い出せない、いい夢だったように思う。緊急事態宣言が発令してからというもの、いろいろな夢を見た、テロのような残酷な夢から意味のわからない夢まで。多分、聖子ちゃんが働くLibrarymanのトニーさんの家の庭で小屋を建てるといったようなもので、それのコンペティションのようなものだったと思う。設計図を書いていたのが、会社の先輩のベッドでただ、キングサイズを二つくっつけたようなサイズなのに、一番端で足だけしか入れてもらえず、床に雪崩れるような体勢で床で画用紙にデザイン画を書いていた。結局ぼくのデザイン案は通ったのか、それは夢の中ではわからなかった。結局、6時半頃まではベッドから出られず、寝たり起きたりを繰り返す。ベッドから出て顔を洗い、表情をチェックし、一度鏡に向かってニッコリとする。最近、これをするようにしている。で、ないと一日笑わない日があるような気がしているからだ。少なくとも一度笑うようにする。その後、ランニングパンツを履き、ティシャツを着て家を出る。もう半袖半ズボンでも問題ない気温になっている。今日は30度くらいまで上がるというのだ。この夏は猛暑が続き誰も経験した事がない夏になると言っていたが、どのくらい暑くなるのだろうか。暑さなのか、閉鎖感なのか、海にも行けない夏なのだろうか。砧公園には6時台に来るとまだ人はまばらで、今日はおなじみの野球家族に加え、サッカー少年も戻ってきた。長ズボンのスウェットパンツが半ズボンのスウェットパンツに変わっているが、相変わらず右足のみでリフティングをしているのには変わりない。いつものポイントで、体操をする。ラジオ体操を自分なりに頭で思い出し、やってみるが途中から思い出せなくなり、適当にジャンプして、深い深呼吸をして終わる。小学校の頃、夏休み期間中の毎朝、公園で行われているラジオ体操に参加するというものがあり、行ってスタンプをもらうことを課題にしていたが、あれはいったいなんだったのだろうか。ルーティン小学校の課題なのか、地域のおじさまおばさまのただの日課だったのか、ただ学校と連動しているということは、お金なども発生していたということなのだろうか。みんなで体を動かすことの一体感や、友人に会える楽しさだったり、規則正しい生活ができたり、とメリットはあるようだけれど、誰があれを普及させているのかは気になるところである。全国ラジオ体操連盟なるものも存在するようである。ラジオ体操はこれだけ知れ渡っているのだから、かなり効果的な体操だと言えるのかもしれない。簡単で効率がいいのだと思う。難解だとやはり不満の声も聞こえるし、簡単で効果がなければきっと何か違う形に変化していくだろうし、これが1920年代から変わらず続いているということはきっと理に適った体操なのだろう。今日は木に先約がおらず、ハグをする。昨日の分まハグをするが、その数分後に昨日、ぼくの木を使っていたおばさまが来る。気を使って隣の木の横に自転車を停めていた。海外に住みたいなと思う。ニュージーランドの南島にはまた行きたいし、可能であるなら生活をしてみたい。ウェリントンもとてもいい印象があるので生活が出来たら理想的だなと思えてならない。ヨーロッパにも行きたいし、この世の中でいつになったらぼくたちは海外生活も出来るようになるのだろうか。昼は、お米を炊き、ししとうとさっと炒める。パソコンに8時半からずっと向かっていると頭の痛みがひどい。18時半にもう仕事出来ないとなり、終える。夜は、ニョッキを作る。料理をしながらアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝が元になった映画『グッバイゴダール』を鑑賞。監督は、ミシェル・アザナヴィシウス。ルイ・ガレルがゴダール役を演じているコメディである。60年代後半のゴダールの商業映画決別宣言からジガ・ヴェルトフ集団、五月革命の時代の話でなかなか面白いと思った。どうもビジュアルの作り方と、アンヌ役の女優があまりピンとこなかったのでどうしてもパロディ映画のような雰囲気に感じてしまう。もちろん大衆映画である。お風呂に入り、北野武『花火』を観ながら、気付いたら寝てしまっていた。