2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.5.1

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2020.5.1

5時半くらいに起きただろうか。あまり朝の記憶がない。6時半に散歩に行く。砧公園で最近見かける家族がいなくなった。時間の問題だろうか。6時台は彼らには少し早いか。それにしても1週間ほど見かけていただけなのに、気付けばそれに依存しいている自分が少し恐ろしい。桜はもうすでに散っている。美しい歌声に導かれるように公園の奥の方まで行くと、オペラを歌っている女性を森の中で見かける。家に帰り、ミントティーをいれる。朝食にパンケーキを焼く。やっぱり思うようにうまく焼けない。正直、粉を使う料理は全く上手く出来る気がしない、どれだけレシピに忠実にやっているつもりでも上手く行った試しがないのである。もう少し丁寧にするべきなのだろうか、料理と違って少しの分量の違いが大きな変化を生むのが粉物料理やベーキングである。いい加減パンケーキくらい上手く作れるようになりたいものである。粉とミルクとバターさえあれば出来るのだ。朝食に困った時はそれを作ればいいのだ。パンだって別にオーブンがなくたって作れるはずである。と思いたいが、まあそうはいかないだろう。その後、実家からイチゴが届く。部屋の掃除をする。連休だったので、なんだか気持ちもスッキリしている。家にいようとも仕事の気分を維持出来ているので、やっぱり公休にならないと気持ちが休まらない。とはいえ、自分のプロジェクトも進めないといけないのでどちらにしろ同じようにパソコンに向かっているのには変わりないのだが、仕事の日はできるだけその椅子から動かないこと、気分転換に音楽を変えたり極力しないようにする。いや、音楽は変えているかもしれない。ただ、気分は仕事である、いつでも対応できるようにしている。そのまま近くの花屋でお花を買う。昨日から現金での支払いがすごく多いので少し気持ちが良くない。こういう接触を避ける時はカードでの支払いで全てを解決したいのだが日本ではなかなかそうはいかない。聖子ちゃんに誕生日の手紙を書く。送れないので、家のプリンターでスキャンしてメールで送る。花の写真も添付する。32歳になった。自分でも信じられないくらい大人である。まだ自分の生活は20代前半の様な生活なので、少し不安になることもあるが、自分が20代前半の頃はこれほど真面目に仕事をしたり、きっちりと書類業務を行う様なこともなかったからそれはそれで成長しているとも言える。30代になってやっと書類関係をめんどくさがらずに提出したりすることができる様になった。聖子ちゃんも彼女自身がまだこんな生活をしていることに落ち込んでいたが、着実に成長しているのだから何も悲しむ必要も自分を否定することもないと思う。ただ、本人が感じることの方が大切なので、そう思うなら少しは焦るべきかもしれない。ぼくの場合は、誰かに何かを教えたり、人の上に立ち責任を持って行動することが大切だなと感じている。何に対する責任なのかを理解すること。厚生労働省から手紙が来ていたので書き込む。政府関係の資料は難解に書かれている様にみえるのでめんどくさい気分にさせるのだが、読んでみるとそれほどでもない。大人になったと思う。やっぱり昨日のwifiの工事の件が納得いかないので、直接工事の会社に連絡できないものかとNTT光に連絡するも契約した場所が違うのでわからないと言われる。冷静になり、会社が雁字搦めで話が出来ないのであれな、こちらの管理会社を説得するしかない、管理会社の方がもう少し人間であるはずだと信じ、管理会社に電話をする。しかし、電話が通じない。COVID-19の影響で時短営業をしているらしい。11時に再度掛け直す。事情を説明すると、「全然大丈夫ですよ」と即回答をいただく。最初からこうするべきだった。あれだけイライラしていたのが嘘の様に気持ちはスッキリする。その後、再度wifiの会社のコールセンターに電話をする。すると、昨日と同じ小林さんいう方が電話を取る。話は早い。管理会社の承諾を得たので、何時でも来てくださいと伝える。「良かったです〜」といきなり友人の様な声のトーンで言われる。その一言でぼくも心を許してしまった様で、「昨日は食ってかかるように責めてしまってすいませんでした。小林さんに色々聞かなかったらうまくいかなかったかもしれません、どうもありがとうございます」と謝る。すると、「そんなの全然大丈夫です、とにかく安心ですね!」と。なぜか、声がかわいくなってくるのである。なんだか人間とはとても不思議である。彼女の声がかわいくなったのか、ぼくの気持ちが穏やかになったので、元々の彼女の声が聞ける様になったのだろうか。20代のチャキチャキとした女性ではないだろうか。なんて勝手に想像する。とにかくwifiの工事が予定通り、11日に行われることが決まった。ただ、今使っているwifiは使えないままである。こちらは連絡が全く来ないので本当に腹が立っている。昼は、昨日のビーフカレーの残りを食べる。カレーは二日目以降が本当に美味しい、そして牛すじのカレーは肉を食べている感じがして、人間の野生感というか、人間本来の野生の思考を書き立てる様である。5月中にもう何度もビーフカレーを作りたいくらいである。ただ、牛すじは高いので何か方法はないか。そういえば、フィジーで食べたラムカレーも美味しかったなと思い出した。こんなの8年くらい思い出したこともなかったけれど、ふと今口に味を思い出している。ラムだったか、なんだったか正直忘れたが、骨つき肉のカレーである。今日は、いくつか送らなければいけないものがあり、郵送する。こういう時にコンビニから郵便物を送ることが出来るのは便利だなと思った。そのまま、軽くランニングをする。砧公園に行くのもなんだかいつもと同じでつまらないしきっとこれだけ天気がいいと人も多いだろう、駒沢公園もきっと人がめちゃくちゃ多くて溢れかえっていると嫌なので、下北沢とかの方向に行こうとするが、結局街中を走ると人が多いのは目に見えているので、住宅地を抜けて二子玉川方面へ。NTSでやっていたTATSURO YAMASHITAのmixをきく。もう何度目かわからないが、何度聴いてもいいものである。いつも山下達郎の曲をmixしたものはつまんないmixが多い中、なかなかいいと思う。イヤホンで音楽を聴くとやっぱり音の鳴り方が違うなと思う。普段聴こえない音が聴こえるようである。聖子ちゃんから電話があったので、そのまま散歩。多摩川アパートの外観を少し仲間で入り覗く。犬がいたので、犬がかえるマンションのようだ。そのまま多摩川の河川敷へ行くことにする。途中の小道は住宅地で緑も多くやはり快適だ、河川敷のランニングコースに出ると、子連れのお父さんが一人いたくらいで、他には誰もいない、通り過ぎる人が数名いた程度である。河川敷の運動場へ降りると、一部ピクニックしている集団を除くと、意外と人はまばらにしかおらず。敷地が広いので、その分人も分散される。それから、芝生で寝転がるだけの広い土地があるのはいいなと思った。毎朝行っている砧公園はなんだか雨のせいか少し湿っているようにも感じるし、それに人が多いから気持ちがどうしても少し落ち着かない。とにかくランナーがめちゃくちゃ多いのだ。今の所、ランナーが多すぎてランニングを毎日する気になれていないのが現状だ。もう少したくさん走る気ではいたのだけれど、ランナーへのマスク着用推奨の「空気」などもあってなかなか走りたいと思える日が少なくなっている。芝生に寝転がり太陽をたくさん浴びる、今日はかなり天気がよく25度くらいあるようだ。いつもGWはこんな風に天気が良くて、これを機に一気に暑くなるのである。桉田餃子で餃子でも買って帰ろうかと思い、立ち寄るも営業しておらず。オンラインで通販できるようである。そのまま家まで歩いて帰る。結構汗をかいたので、シャワーを浴び、ココナッツウォーターを飲む。夕食は、クスクスとサラダを食らう。また聖子ちゃんと電話をし、ライフプランをする。途中で体調が悪くなり、電話を切る。水に触ったり、歯磨きをすると少し収まることがある。聖子ちゃんの誕生日だからできるだけ話をしていたかったが頭がいたいので、22時半には就寝。それにしても、やっぱり家から出ると身体が緊張するし、身構えているようである。戦闘態勢というか、そんな風になっている。聖子ちゃんは今日で32歳になった。これで2年連続誕生日を一緒に過ごせていないが、彼女にとっていい日になっていればいいなと思う。Happy Birthday!