朝は、6時過ぎに起床。最近、日の出と共に起きることが多くなった。夜寝るのが早いからなのか、健康的な身体になっているからなのか。エリックロメール『六つの本心の話』を読み進める。六つの短編集が掲載されているのであるが、どれも映画とはまた違う方法で、描いているということで興味深く読み進める。「クレールの膝」を読む。映画の『クレールの膝』といえばロメールの喜劇と格言劇シリーズの一つ。ロメールの作品の描き方は人間の思考がうまく表現されているのでかなり好きである。それに、何より映画に関しては撮影方法も映像の色も音楽も素晴らしい。先日観た『美しき結婚』の音楽などは、映画音楽とは何かを教えられるようである。いや、映画音楽とはではなく、音楽とは場面を切り替えることができる装置であり、気分や空気すら全く違うものに変化さしてくれるのである。朝は、9時ごろアボカドトーストを食らう。普段であればスライスするのであるが、かなり熟れていてスライスというどころじゃなかったので、粗く潰す。オリーブオイルとペッパーと塩で味付け。最近、育てている豆苗とパプリカパウダーでトッピング。パンは、ブリコラージュのカンパーニュがまだ残っているので、それを使う。日記を書き、ウェブサイトの更新をする。溜まっていた日記を一気に更新する。毎日かけてはいないのだけれど、コンスタントに書くことで世の中で何が起きているか、何を考えていたのかを思い出すきっかけになる。それだけでいいのだ。それにこれは事実に基づくものとは限らないので、空想のダイアリーでもいいのだ。読者の皆さんはこれを全て信じるというのはどうか。たまに、そんなこと書いていいのかと指摘を受けるが、ぼくは決してこれが全て真実を記録するものとは言っていない。別に虚構で満ちあふれたダイアリーにするつもりもないのだが。毎日書いていないのにダイアリーという名前はどうなのかと思い、タイトルをTEXT(テキスト)としていたのだが、最近は、VOICE(ヴォイス)の方が近いのかなと思い、VOICEに変える。あくまでテキストであることには変わりないのであるが、これを書いて書き換えるわけでもなく、音とリズムで書いているので、ある意味、話す声のような印象を自分自身で受けた。声明みたいな感じにも取れるので、VOICEがいいのだ。テキストというとどうも記録意識が強くなる。もちろん記録しているし、記録に意味があると思っているのであるが、このキーボードを叩く音や叩くリズム。何かを考えるときに、空中で指を保留したり、痛くなり空中で指を動かす動きも全てリズムなのである。画面だけを見て文字を打つことが出来るので、もう文字が進むリズム感とキーボードをタイプする音のリズムだけに意識が行くこともある。それはまさに会話なのである。内容はあるのかよくわからないがとにかく言葉を交わす。それが大切なこともある。昼は、前に焼いたハラスが小さな冷蔵庫の中にあったので、それをほぐしおにぎりにする。黒ごまと、梅干しと、乾燥ネギを入れて混ぜご飯風にする。海苔で巻き、くらう。めちゃくちゃ美味しくて驚いた。久しぶりにおにぎりを食べた。wifiがかなり調子悪いので、新しいものに契約しようとしていて色々と調べるが、今住んでいるマンションはNTT光しか入らないようである。NURO光がいいかなと思ったけれど、仕方ない。夜は、Polpette(ミートボールパスタ)を食らう。初めてのレシピでミートボールで作った。いつも大体、ミドルイースタンのラムミートボールを作るので、イタリアンミートボールは新鮮。パン粉とミルク、パルメザン、ベーコン(ソーセージの中身と書いてあったがないので、)を入れた。かなり柔らかく美味しく出来た。マーティン・スコセッシ『カジノ』の中で、カジノのボスたちがPolpetteを食べるシーンがあるのであるが、そのシーンを見てからというものの、ずっと食べたくて仕方なかったのだ。KENNEDY magazineのクリスにQuarantineダイアリーを作ってくれと言われ、進める。食べたもの、観たもの、聞いたものということだったので、エリック・ロメール、マーティン・スコセッシ、pici、パスタ、ケーキかなと構想を練る。今、写真集を作っていて、『 The Memory is my fourth Dimension』というタイトル。これはクラリスリスペクターの言葉「The word is my fourth dimension」をもじったもの。聖子ちゃんが付けたタイトルだ。それを家で早速簡易プリントしてみる。本の形にしてみると何か新しいことが見えてくるのではないかと思う。並びもある程度決まっているが、どうしてもぼくはステートメントを書かないことには作品として作り上げることが出来ないたちなので、早くステートメントを 完成させないといけない。お風呂に浸かる。聖子ちゃんから全然連絡が来ないので少し心配になるが、連絡がくる。死んだんではないかと、いろいろなことを考えてしまった。タフな女の子が死ぬわけないと思っていたが、その通りだった。もし死んだら、どんな風に今後過ごせばいいのかと色々と考えを巡らせてっしまった。アントワープに住もうとか、世界旅行しようとか、聖子ちゃんが一番憧れている(本人はけっして自分では言っていないが、ぼくにはそう見える)エミさんとクリスにまず会いに行こうかとか。そんな話を彼女にすると大笑いしながら、「虚弱体質のオムくん(ぼくのあだ名)より私が早く死ぬと思う?」と言われた。それはそうだ。聖子ちゃんに昼にハラスおにぎりを食べたという話をしていると、はらすおにぎりははらすをただ白いご飯で握ったもの、それに海苔を巻いたものをはらすのおにぎりと呼ぶんだと言われる。それからNYで行われている写真家たちがオリジナルプリントを150ドルで販売する募金活動の話をする。ぼくは、ピーターサザーランドの写真が気に入った。他にもいろんな名高い著名な写真家たちが参加しいている。聖子ちゃんはドイツの写真家、名前をすっかり忘れてしまったが、、、その写真が欲しいと言っていた。昨日で、聖子ちゃんが日本を離れて一年になった。「ロンドンで見た花と同じものがアントワープで咲いてるのを見て一年経ったんだなと思ったの」と話していてなんだかハッとした。彼女にはいつもハッとされる。自分の軸から遠く離れたところにいる気がしてならない。そういう時に大体彼女のふとした一言や態度によって戻されるような気分になる。一人で生活していると目の前のものに影響されがちなのと、自分の好きなものが明確なので、それに突き進んでしまう。やはり聖子ちゃんのような自分の持っていないものを持っている人、理解出来ないようなただセンスがいいなと感じる感覚を持っている人と過ごすのは素晴らしいことである。彼女なのか、それとも同士なのか、戦友なのか、親友なのか、旅を共にする仲間なのか、何かは自分にもわからない、すべてかもしれない。そんな感覚を感じながら生きるのは素晴らしいことだと思う。明日は、椅子が届く。ついにアルネ・ヤコブセン、アントチェアの黒の3本足が手に入った。