2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.8.6

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2019.8.6

ヒロシマ
1945年、朝8時にヒロシマに原爆が投下された。
きっと戦争中でも天気がいいから気持ちいいなと思っていた人もいるに違いない。汗をかき、やっぱり夏はいいよなと一瞬でも思っていたんだと思う。
特に子供たちは夏の気持ち良さを感じていたと思う。そんなところに原爆が投下されたことを考えるとすごく心が痛む。どう考えても理解出来ない。
無限に広がる希望がスイッチ1つで無くなるのである。一方でスイッチを押す方も相当の葛藤があったはずである。ぼくは悪をする人間の心の揺れにもすごく興味がある。

こうやって青空の写真を撮っていると、夏の青空はつくづくいいなと思う。
こうやって改めてなにかを考える日があるのはいいことなのか、悪いのかすらわからない。
考えないでいい日々が続くのはすごく幸せなことだと思う。感じられることだけを素直に感じるという生き方。
人はいろいろなことを忘れる、自分の彼女の誕生日さえも、結婚記念日でさえも忘れてしまうのだ。
思い出す装置として存在したい。記録ではなく、香りとかリズムとか、行為や言葉にすらできない感触みたいなものによってふと思い出す。そんな感覚があれば素敵だよなと思っている。

昼にAux Baccanalesに同僚佐々木さんと古滝さんと行く。テラスに座りながら、レモネードを飲み、こんないい気分でずっと過ごせるならば、ぼくは社会に対しても過去に対しても何も文句は言いませんと思った。
8月6日に、広島出身の古滝さんとランチをしたことが個人的にはすごく良かった。こうやって人が自分のストーリーを持ち、文化的思考を持っていくことがぼくの理想である。