2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.8.3

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2019.8.3

接客しているとお客さんに「ロールアップして履きたい」と言われしぶしぶ捲り上げるが、つくづくパンツをロールアップさせて履くような大人にはなりたくないなと思う。ロールアップのその5,10cmに何が残るというのだろうか。残るのは、きっとがめつさと固執するねちっこさだけである。
本屋が出来たので来て欲しいと手紙を送っていた西岡さんがお店に来てくれた。
「前より金銭的な余裕を顔から感じるわ」と言われて絶望感を味わう。金銭的な余裕が入る隙間もないほどに削り落とされた表情でいたい。
19時前、一本の電話が入る。
「はい」と「そうですね」のみしか言えず、なんだか脅迫されているように感じ、閉鎖的なムードと電話を切ることが出来ないこと(=電話を耳から話すことが出来ないこと)から過呼吸になりそうになった。
ぼくは閉所恐怖症で、窓のない場所などにいくと苦しくなるのであるが、電話を話すことが出来ない、切ることが出来ないというのは、目の前にスペースがあり、歩くことが出来、フィジカルにはどこまででも自由に行動することが出来るのにも関わらず、それでも閉鎖的な空気を持っているのである。実際のサイズはほとんど関係なく、本当に存在するのは脳や身体が感じるサイズなのである。
今日新しい発見だった。