2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.1.16

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2019.1.16

645分起床。コーヒーを淹れ、トーストを焼く。
パッキングはほぼ終わっていたのでゆっくりと出来た。新しいことが待ち構えているので、頭ではあれもこれもしないといけないと思ってしまっているが、実際のところ、するべきことは限られている。それに数日前にもう諦めがついたかのようにどこか落ち着いた感じもある。
今日の朝はゆっくりと過ごす。今日から2週間聖子ちゃんに会えないと思うと少し悲しい気持ちにはなるが、もう慣れたものである。
しかし、僕はやっぱり彼女と一緒にただ生活するのが好きだなと思う。コーヒーを飲んで、トーストを焼いて食べて、散歩して、ケーキ食べて、音楽を聴きながら料理して、たまにライブ行ったり、旅行行ったり、ただそれだけで僕は満足である。
8時の電車で、羽田空港へ向かう。途中、渋谷駅と品川駅で乗り換えをしたのであるが、平日のこの時間は避けたかったのだけど、仕方ない。だけど、想像していたほどの混み具合ではなく、大きなスーツケースを抱えて乗り込んでも問題ないくらいであった。
9時半に空港に到着し、会社の先輩安藤さんと合流。羽田からロンドンに一緒に向かう。JALのラウンジにて待ち合わせをし、食事をして、コーヒーを飲んで、話す。自分が何を求められているのかをしっかりと見極めることがすごく重要。
今回だと、買い付けが出来るわけではないのだからやはりそこにある様々なストーリーを汲み出し、伝える作業をするしかないのである。観察し、話をし、それらを持ち帰り伝える。それが僕に託された今回のミッションである。もちろん、仕事を覚えることは第一に存在する。
11時半搭乗。
機内で、村上春樹『雑文集』を読み進める。

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飛行機内で大根仁監督『SUNNY 強い気持ち強い愛』鑑賞。
ありきたりなストーリーではあるが、こういう内容はありきたりであればありきたりであるほどいいということだろう。
無限の可能性と無防備さを持ったヒーローたち。
いろんな人たちが色々な事情で輝きを失ってきた。一つの些細な出来事がきっかけになり失脚してそこからリズムを掴めなく大人になっていく。そんな繊細さことが10代が持つ美しさなのかもしれない。僕たちの周りにも同じような世界観があったのは間違いない。
彼らは今どこで何をしているのだろうか。記録には残らないが、いつまでも僕たちの記憶に残っている。
僕は、彼らの夢も背負って生きて行きたいと思っている。それくらの覚悟はある。
それに自分も夢と希望を持って生きていた(生きている)人間である。
真剣に生きていくことはどういうことかということをもっともっと真面目に考えなければいけない。
僕がしたいと思うことは全て、しなければならないし、
自分に関わる人たちの夢でありたいと思う。それくらいの使命を持って生きたい。
挿入歌が、90sの音楽で、それらを聞いていると感情が乗った音楽が作られた時代だったんだなとしみじみと感じる。
なんども泣きそうになるが泣けない。
映画を見ながら、人が死ぬ時に人を出会わせてくれるのかということをふと感じた。僕のおじいちゃんが死んだ時もすごくたくさんの人が集まっていた。
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頭がスッキリせず、順番に事を進めることができない。

やらなければいけないことと、やるべきことと、やりたいことの判断がなかなか付かない。忙しいとその順番をしっかりと見極めて、進めていかないと大変なことになる。特に僕はそうなのだ。