2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2018.7.2

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2018.7.2

11-DSM
歌舞伎そばでもりそば大盛り。夏はもりそばにかぎるね。
一つ一つの行動に余裕と自信を持って進むこと。
Rafさんがわざわざ挨拶しに来てくれた。


27時に起きて、サッカーを鑑賞。
ゲーム内容もそうだけれど、一人一人が逃げの選択か、選んだ選択かがエナジーとなり繋がっていくことにすごく興味が湧いた。
グループリーグは、選手たちが主導権を持ち、自分の選択でパスを出し、シュートを打っていたように見えていて、プレスや守備の固め方など(戦術的な部分はぼくにはよくわからないが、)もすごく選択の中での決定が見えた。
しかし、今日の試合の前半戦は、選択をさせられているようなプレイに見えた。
クリア一つにしろ、パスにしろ、出しているというよりかは出せられている(日本語がおかしいか。)ようだった。
それから、原口のゴールのシーンも彼自身がゴール決めたことに驚いたような表情をしているのがその先の試合の流れを少し不安にさせた。大舞台で、本人は、口にはしていてもまさか自分が成し遂げるとは思っていなかったことをすると人はああいう顔をするように思う。

「成し遂げたい」と「成し遂げる」と「成し遂げてしまう」では大きな違いがある。原口のゴールは3つ目「成し遂げてしまう」に見えた。
2点リードしてからの精神が不安定だった。自分たちが支配するということになれていない日本人らしい空気だったように思う。それから、予想していないほどのいい結果になった時に不安になるのも日本人的だなと感じた。
予想していないほど悪い時にはすごく頑張ることが出来るのだけれど、予想していないほどに良い時にどう感情や気持ちをコントロールするのかということに慣れていないと思う。サッカーだけでなく日常生活において。ぼくも同様。
シャイとも繋がると思う。ラテンや南米のようにノリノリで継続することが出来ない。

少し話は戻るが、人生も同様で、選択を自分で決定して選択するか、選択させられるかでは大きな違いになるのである。
選手たちの表情や目つきや発言を見ていると、勝つこと自信を持つこと、そして同様に負けることも人生において重要だなと思った。
自分の世代が中心となっているワールドカップが最後だと思いながら応援していたので、結果は少し残念である。