震災から6年経ったのだ。
2011年の日記を引っ張り出し、自分への戒めとともに再度パブリックに向けて発表したのであるが彼女にとても嫌がられた。怒られた。
それは、一文彼女にとって気に入らない部分であり、ぼくにとってはその時の思ったこと(事実か虚構かはいいたくないのであるが)、そして、文章を通して読んだ時に面白いと思えるオチの部分でもあった。
だから、それらを変えるつもりはない。彼女が嫌がることが見えたので消そうかとも思ったのであるが、だけれど、ぼくは過去の内容を変えるようなことはしたくないし、事実を書いているとは言っていないのである、何よりそれが文章の最後にあたる一番のオチだったのでそれを消すわけにはいかなかったのである。
日記に書いていることは、事実っぽい話なのであるが、100%本当だとは思わないでほしい。虚構こそが事実を事実らしく浮き上がらせる一つの方法だとぼくは思っているし、いちいちそれらを説明する(させる)ような野暮なことはお互いにしない方がいい。
人によって、または社会の時代性よって、色々な作品が捻じ曲げられてきたのは事実であって、それらには、常に反抗している人たちが常にいる。ぼくは、その一端になりたいと思っている。
昼過ぎから図書館に行き、作業をする。少し捗ったが、その時点で今夜のFrankie Cosmosは行けそうになかった。
今夜は楽しみにしていたFrankie Cosmosのライブがある。色々あって結局行けないという判断をした。
ここ数ヶ月は非常に辛い日々で、全く笑っていないように思う。
ぼくの人生はなんのためか、自分のこれまでの選択は正しかったのか、もう何もしたくない、死にたくなることもよくある。友人もいるのかわからなくなる。仲良かった友人たちとも久しぶりに会っても話は盛り上がらないし、全てのことが否定的に感じる。人の行動が気になり、嫌になる。人生はなんのためか、みんななぜ生きているのか、と悶々としている。
写真と文章を中心に生活していきたいと思っているが、その選択は正しいのか。正しくするのは自分の行動だ、と言い聞かせているのだが、ふとした時に弱気になる。
人生はとても難しいなあと思う。歳をとればとるほどにあの時の選択が間違えていたのではないかと過去を振り返り惑わせる。