2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2012.2.8

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2012.2.8

コーヒーショップmakiにてモーニング。
鴨長明「方丈記」読了。権力のあるものは欲が深いし、身よりのないものは、他人から軽くみられる。財産があれば、心配が多いし、貧乏なら、人をうらやむ心が強い。他人に頼ると、自分が自分のものでなく、他人の所有になってしまう。他人を世話すると、その人に対する愛情に惹かれて、心の自由を保つことができなくなる。人間のしきたりに従えば、自主性を失って、窮屈だ。したがわなければ、非常識な狂人みたいに見られる。こんなのが人間世界。
田中美穂植物店コーヒーショップへ行く。昨日、名前を見つけてビビっとき過ぎて行ってきた。すごくいいお店、興奮できる場所。ローズマリーの苔玉を作ってもらう。また必ず行く。
その後、大学の後輩まっすーと合流。ギアやツールと洋服とネイティブアメリカンについて話しながら珈琲飲んでインドカレー。
馬場ちゃん宅へ。ギターを教えてもらい、その後三人で銭湯。脱水症状を起こす。また、死を感じる。怖い、死ぬの怖い。勘ぐりすぎて自分で息の根を止めてしまいそうになったり、こんな脱水症状になったり最近苦しい事が多い。
その死にそうな時に考えていた事は、日頃「クリスタルガイザーとか飲料水は買わない」と思っていたけど、こんな時は必要。そういうモノは、ぼくと同じ思考、環境、生活水準がある人は必要ないけれど、今倒れそうだとか水飲まなきゃ死んじゃうという人には必ず必要。そう考えるとやっぱり悪い面だけではないなと思った。しかし、便利や簡易さでぼくみたいな環境、生活がある人が使うのは違うでしょ。もっと自分の存在、全世界や未来や歴史からみた時間軸における立ち位置を知る必要がある。それは、みんな違うんだけれど、もしかしたらぼくより横のあなたの方が水分必要かもしれないので同じ時代同じ年齢同じ大学同じ場所にすんでいるからと一概には決められない。要は、自分自身で本当の自分を理解する必要がある。もっと自分のサイズを知るんだ。しかし、今はシステムによってサイズも均一化されている。なので、本当の自分のサイズが解らなくなっている、こんなくらいが日本の人間にはちょうどいいですみたいなシステム化されたサイズに収められている。それは違うでしょって。じゃあ、違うんだーと立ち上がった!とする。しかし、問題発生。みんなブランドだなんだとか、家の大きさだとか、住んでる場所だとか、している仕事だとかいわゆる地位名誉で人と比べたがる。だから「そういう違いがいいんじゃん!」っていう「違いを愛でる文化」が必要だよ。だから、ブランド作るとかモノ作るとかじゃなくて人間の価値観というか新しい視点を作りたいんだよなあ。それがぼくは非常に文化的なんじゃないかと思うんだよ。苦しみながらもこんな事考えていたのだから、よっぽどそういう事に対して問題視しているんだと強く思った。いい経験。スーパーまえむき。
これが違いを愛でる文化を作る集団「ジオラマボーイズ」の理念です。



《A table! Comestible Paysage Labo》
今日作ってもらった苔玉。これからのぼくは景色屋である。
A table!の風景はもっとおもしろくする必要があるんだ。それが Comestible Paysage Laboの使命である。アクロバティクに食べられる植物を育てて意識してもらう。

《酵素Labo》
冬期の為、実験中止。再開をしばしお待ちください。