2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2012.1.23

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2012.1.23

朝、母が録画してくれていた田中正造と南方熊楠の特集を見る。かなり面白く、今の時代にも重要なことを言っている。
土の上には生物がいて、今立っている足の下にも生物がいて、空にも生物はいる。多様な視点がある。視点を変えれば、様々な所に宇宙が広がる。路上にも人の生活のための家があり、賃貸マンションにも人の生活のための家があり、また建て売り住宅にも人の生活のための家がある。しかし、どの生活が一番家らしいのか。坂口恭平のホームレスに近いのか。
人間には主権がある。しかしまた、自然にも主権がある。それが日本人のあり方であり、そもそもあった考え方。森羅万象に神々が宿る、八百万の神が存在するアジア独自の古来からの考え方。人間主権ではなく、自然主権で自然共生することを考えてみよう。そうするとおのずと自分たちのスタイルが見えてくる。
南方熊楠は、川を汚す事、山を荒らす事、神社合祀について「敬神思想を薄うし、民の融和を妨げ、地方の凋落を来たし、人情風俗を害し、愛郷心と愛国心を減じ、治安民利を損じ、史蹟古伝を亡ぼし、学術上貴重の天然記念物を滅却する。下痢を止めるために氷を食べているようだ。」という。まさにそうで、その神社を潰す事で、一つの神社を潰すだけでなく多大な目に見えない大切なものを潰すのだ。「直接的なつながりとは別につながりが存在する。」まさにぼくがずっと思っていることである。

田中正造も南方熊楠も過去に戻ろうと言っているのではない、大事なものを回復しようと言っている。
西洋文化は個人を大事にするあまり公共性が失われている。自然との公共性はアジアに文化として存在していて、西洋には存在しない文化である。
上記した神社合祀からもわかるように物事には、「自然」「人間の心」という二極がある。自然の方が精妙さもっている。自然の精妙さと共鳴することが智であるのだ


久しぶりにどんずばです。やはりかなりヤバいな、熊楠。


《A table! Comestible Paysage Labo》
豆の成長が遅い。家の周辺の畑はかなり背が高くなっているようだが、ぼくのはまだまだダメである。

《酵素Labo》
酵素ジュース10日目。
明日漉します。