2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2012.1.12

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2012.1.12

宇川直宏は天災についてのプロジェクトを2007年から続けている。「台風はレイブだ。数日前からこういう経路でやってきます!と伝えられてそわそわしながらそれに合わせて高ぶらせる。しかし、地震はレイプだ!なにもいわずにいきなりやってくる。レイブとレイプ一文字違うだけでこんなに違うものか!地震というレイプに対して、ぼくは0円で行うレイブを行おうとした。しかし、天災という自分が調べているものによって入場者数0、0演奏という0づくめの伝説のパーティーとなった」みたいなくだりが新潮の椹木野衣と宇川直宏の対談に書いてあり、めちゃくちゃおもしろかった。
なりふりかまってない状態にはアートの種が宿っている。坂本慎太郎の歌詞にもあるように「窓ガラスが壊れるほど叫んでみたり」「恋をしたり」「けんかしたり」そういうなりふりかまってられない状態に芸術は存在するのだ。放射能が嫌なら嫌でなりふりかまわずアクション起こす、世の中嫌すぎるならアクション起こす。それが芸術だ。

福岡正信「わら一本の革命」序からの抜粋。
「憂える者はあっても緑の喪失を惹起した根本原因を追求し撃破するものはいない。ただ、結果のみを憂い、環境保護の視点から緑の保護対策をとなえる程度では、とうてい地上の緑をふっかつさせることはできない。飛躍しすぎた言葉ともとれようが、地球の砂漠化は、人間が神なる自然から離脱して、独りで生き発展しうると考えた驕りに出発するものであり、その業火が今地球上のあらゆる生命を焼き滅ぼしつつある証(現象)だと言えるのである。

生命とは、宇宙森羅万象、大自然そのものの合作品である。その意味(過去)と意思(未来)を知らないいま、自然と対立者となった人間は自らの手で自然を利用して、生命の糧、食物を作り、生きようとした。この時から人間は自ら母なる大地に反逆し、これ。破壊するサタンへの道を進んだのである。
自然破壊は、自然の生命と一体化した人間の生命の自殺行為であり、人間による神々の破壊、死をも意味する。」

現在も1920年代も何も変わっちゃいない。悔しいことに。


《A table! Comestible Paysage Labo》
今日はハーブ類の移植、ブルーベリーの植樹。人間のように土や植物にも相性が存在し、相性が良くないとけんかしお互いの成長を妨害する。しかし、相性が良いとお互いぐんぐん育つ。また、人間の身体のように酸性アルカリ性がある。そのため土の酸性やアルカリ性を見極めて育てることでウマく育てることが出来る。農薬は種や苗にも残るので。完全無農薬を育てたいのであれば一度無農薬野菜を購入し、種を取り出してその種から育てる必要がある。また、土にも残留農薬は存在するため土壌改良も必要である。これには多大な時間を要する。大きなことを学んだ。

そろそろ酵素ジュース製作にも取りかかる。酵素Labo発足。美味しくて美しい酵素ジュースを作れる知人が現れる。